2016年2月26日金曜日

2016-02-26 - 植物由来のプロテイン(タンパク質)や肉を販売するビヨンド・ミート社創業者兼CEOであるイーサン・ブラウン






イーサン・ブラウン

ビヨンド・ミート社創業者兼CEO。米コロンビア大学ビジネススクール終了。MBA。同社は、大豆から生まれた植物由来のプロテイン(タンパク質)や肉を販売。同社では、注文が入ると、社内に据え付けたカウベル(牛の首につける鈴)の音がなる。彼は、現在、家族とともにロサンゼルスに在住。



1.  「ビヨンド・ミート」(Beyond Meat*社を設立するために、明らかに成功していたキャリアを中断した理由を教えてください。どのような理由によって、起業というリスクをとることにしたのですか。

* Beyond Meatは、「肉を超えたもの」という意味で、植物由来のプロテイン(タンパク質)、肉を意味する。

会社創業までのプロセスはゆっくりしたものだった。燃料電池の分野での仕事を本当に楽しんでいた。そこで成功していたし、周りには素晴らしい人々がいた。その仕事で、私は多くを学んでいた。そうした経験は、私のキャリア形成にとって意義のあるものだった。しかし、動物タンパク質に関する根本的な問題を解決するという使命も感じていた。「ビヨンド・ミート」(Beyond Meat)を創業する8年から9年前のことだったが、私は友人に次のように話したことを覚えている。「どうしてマクドナルドは動物性タンパク質をハンバーガーの中に含めるのか、よくわからない」人々は、肉のまわりの他のすべてのものを楽しんでいるように見える。肉は味を与える方法であるが、それが最善だということはない。マクドナルドは、フィレミニヨン(フィレ肉)を提供していない。マクドナルド社は、高度に処理されたバーガーとチキンを販売しているが、それらのなかに使われている成分が何かを知ったら、ほとんどの消費者はひるむかもしれない。その時点で、私は、マクドナルドが提供する商品に対して、同社の競合企業を設立し植物ベースの代替品を作らない理由はない、と考えた。

しかし、私は、フードビジネスやレストラン業界での経歴がなかった。むしろ、私は、地球の気候変動などの問題に、より伝統的な手法で取り組むことを期待されるような経歴をもつ人間だった。したがって、私は、巨大な豆腐製造工場を建設することには適任ではなかった。最初は、自分の着想に抵抗感をもったが、同時に、信念もあった。私は、植物由来の「肉の代替商品」を作るという使命に突き動かされた。それは、川の水が障害物のまわりを自然に流れていくような感じだった。そのテーマに関して、夜、たくさんの書物を読んだ。暇があれば、それについて考えた。最終的に、私は、プロテインの方程式から動物由来の部分を取り除く技術に焦点を絞り始めた。このテーマに関して十分に知識を蓄えた。そして、ビジネス界や大学研究者のコミュニティーとの関係も構築した。そうして、私は、それまでの会社を去った。会社を去るにあたって、自分が情熱をもっているアイデアを実現したいと説明して、私は同社のコンサルタントになった。ある意味で、私は、徐々に、それまでの職業から離れ、現在の職に移行していった。




2.  最初の商品は何だったのですか?

私は、ミズーリ州立大学のフ・ファング・シェイ博士が発明した技術プロセスの熱烈なファンとなった。彼の技術を使うと、筋肉の構造を模倣するように植物のタンパク質の構造を再編することができた。もちろん、この技術を発見する以前にも、私は、最高の肉の代替商品をアジアから輸入し、ホールフーズ・マーケット社を通して、米国内で販売していた。それは、米国で販売されていない肉製品だった。私は、ホールフーズ・マーケットで試食販売を展開した。それを通じて、消費者に植物由来の肉を食べてもらうためには何が必要かについて、多くの教訓を得た。




3. 植物由来の「肉の代替品」の製造技術を開発するために、あなたは、ミズーリ州立大学、メリーランド州立大学、ベンチャーキャピタルのクライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズ(Kleiner Perkins Caufield & Byers)社、オブビアス・コーポレーション(The Obvious Corporation)社と提携しました。それぞれの組織とその提携について説明してください。そうした組織と提携するうえで、どのような障害に直面しましたか。それらをどのように克服しましたか。

最初に、ミズーリ州立大学にコンタクトをとった。フ・ファング・シェイ博士の研究論文を読んだあと、彼に電話した。巨大な多国籍企業だったら、巨額な研究開発予算をもっている。一方、起業家は大学を活用できる。仮に私が実用化したい新規のアイデアを探しているのなら、主要な州立大学の工学系/化学系のビルをふらつくだろう。そこで、研究者と話しをして、彼らがどんな研究をやっているかを確認する。大学の研究者は、考え、研究を実施するのが仕事だ。彼らはビジネスの専門家ではない。彼らは、自分の研究を商業ベースのプロジェクトにする時間や意向もない。私は、彼らの研究を商業ベースのプロジェクトにするために、起業家と提携することを支援するオファーを申し出ることができた。ミズーリ州立大学には感謝してもしきれない。この大学は学術的にもとても優秀であり、スタッフはみな高い倫理観をもっている。彼らと提携できたことは、私にとって、とても幸運だった。

メリーランド州は私の出身州だ。その当時、そこに住んでいた。私はメリーランド州立大学を訪問し、携わっているプロジェクトの内容を説明し、資金が必要であることを伝えた。この大学には、プロジェクトを実施するために教授たちに資金提供をするプログラムがあった。私は、食品化学の第一人者であるマーティン・ロー(Martin Low)博士と提携した。私は、ミズーリ州立大学で、製品を開発し、それをメリーランド州立大学に持ち込み、テストを行った。私は、メリーランド州から2度も、この研究開発に対して補助金を受けた。シェイ博士とロー博士は、お互いに敬意をはらい、良好な提携関係を築いた。

2011年、当社は、ベンチャーキャピタルのクライナー・パーキンスから投資資金を獲得した。それが、当社にとっての分岐点の瞬間となったと思う。クライナーは有名で、同社は、アマゾンやグーグルなどのすばらいしい企業に投資した実績をもっている。他のベンチャーキャピタルから、より条件のよい投資のオファーを受けた。しかし、クライナーの影響力、人的ネットワーク、ビジョンを理由に同社のオファーを受け入れた。同社は、約束したことはすべて実行してくれた。起業家は、ベンチャーキャピタルの行動に関して悪夢のような噂をしばしば聞いている。ビヨンド・ミート社とクライナー社をお互いが切磋琢磨し、両社の関係はとても良好である。クライナーとの関係を構築した1年後、新たなメンバーとしてオブビアス社が参加してきた。

提携企業との関係では、私自身が一歩引き下がらなければならないときもある。現在、私は、私自身よりも遥かに大きい何かの一部であるという感じがしている。当社ならびに提携会社は、後に歴史が判断するであろう「正しい道」を歩いている。それぞれの組織が、重要な役割を担っている。それらのひとつでも欠いていたら、現在の姿にはなっていないと思っている。




4. 提携企業やその貢献内容について、今、説明を聞きました。続いて、提携に伴う障害やその克服の方法について紹介してください。

私たちはチームである。私はバスケットボールをやっていたので、それを例にして説明しよう。5人のプレーヤーがコートに立っている。5人全員が、いつも気持ちがいい状態ならば、彼らのチームワークのレベルは適正なものではないと思う。同じことがビジネスにも当てはなる。私たちは、途中、障害物にぶつかった。しかし、それによって、私たちの提携や友情がさらに強まった。もし、新しい提携企業が入ってくれば、いい関係にある既存の提携企業から疑問が投げかけられることもある。私たちは、そうした問題を円滑に解決する必要があったし、これからもそのように対処していくだろう。これから、もう一度試合にでるというなら、このチームで試合に出たい。彼らは本当に素晴らしいメンバーだ。




5. あなたは、20代で、エネルギー/環境系の組織を立ち上げましたが、その目的は何だったのですか。その経験からどのような教訓を得ましたか。その教訓は、ビヨンド・ミート社の設立でどの程度役立ちましたか。

目的のひとつは、ノースカロライナ州のチャールストンに住むことだった。私はその都市が好きだった。私は、かつてエネルギー省の兵器施設があった場所を1年かけて観察した。オークリッジ(Oak Ridge*とロッキー・フラッツ(Rocky Flats**に行った。そのとき、指導教官のために研究論文を執筆していた。広大な土地の区画が核兵器実験のために確保されていた。そのため、一般の人々が活用できないという「外部性」(externality)が発生していた。最終的に、その広大な区域は野生動物の保護区になっていた。誰も、そのような地域に足を踏み入れようとはしなかった。私がもし環境問題にも造詣が深い思想家、エマーソン(Emerson)やソロー(Thoreau)で、こうした土地を保全したいと考えたなら、(逆説的であるが)極めて微量の核廃棄物をその土地に置くだけで、広大な土地を野生動物のために保全できるのではないかと、考えたりした。

*オークリッジ国立研究所(ORNL)のことを意味する。この研究所は1943年に原子爆弾開発のためのマンハッタンプロジェクトで創設された。第二次大戦後は、原子力平和利用研究の中心的な役割を果たした。
**ロッキー・フラッツ(Rocky Flats Plant)とは、コロラド州のデンバー近郊で操業していた核兵器(特に起爆装置)を製造していた施設。

この核施設の汚染問題の解決には2つの方法がある。一つ目は、EPA(環境保護庁)の基準のとおり、幼児でもその土地のものが安全に口に入れられるように、何10億ドル(何千億円)を費やして、土地の除染を行うことだ。二つ目は、その土地をそのままにして、野生動物のための美しい保全区域にすることだ。「廃棄物(無駄遣い)から荒野に」というタイトルの論文を保守的なシンクタンクのために書いた。そのシンクタンクは予算削減の戦略に関心を持っていた。私は、そのシンクタンクのようなことは考えていなかったが、私の論文は刊行された。調査研究と論文執筆に1年間を費やすなかで、私はエネルギー省の環境保護プログラムにおいてどのようなことが起こっているのかについて、非常に多くのことを学んだ。外部からの規制監督がないことが、予算の膨張を招いていた。環境への影響に十分配慮しないで、誤った意思決定がなされていた。

私は、こうした背景により、サウスカロライナ州内で監察を実施するための組織を設立し、W.L.ジョーンズ・ファンドとプラウ・シェア・ファンドを通して資金を獲得した。これが、最初に私が完遂した非学術的プロジェクトとなった。私は、ゼロから組織を立ち上げた。それを行うために、発想を概念化し、資金を調達し、役員会を創設した。同時に、その組織から私は解雇された。つまり、解雇についても学んだのである。こうした経験は、ビヨンド・ミート社を創業する際に、大いに役立った。




6. 特に解雇からどのような教訓を得ましたか。

いくつかの教訓を得た。第一に、私は支配/監督権をあまりにも手離し過ぎたことだ。私は、他人を信じやすい傾向がある。そのため、潜在的な問題を予見していたにもかかわらず、それらを過小評価してしまった。自分で次のように考えた。「私たちは同じ考えをもっている。最終的には同じだ」私は愚かにも、悪いことは起こらないと考えた。しかし、資金を調達した瞬間から、メンバーの態度が変化した。この経験を通じて、私はコントロール(支配/監督)について学んだ。この問題については、信頼とコントロールの正しいバランスの取り方を現在も学んでいるところだ。

私は、また他人との交わり方についても学んだ。私が執筆した論文は一部の人たちを狼狽させた。論文の刊行を承認した者がとても重要な部分を見逃した。彼は、私の論文を注意深く読まなかっだ。この問題に丁寧に対応するかわりに、私は経営陣を批判してしまった。(後から考えると)それは、愚かで傲慢な態度だった。私の批判を知り、取締役会は即座に私の解雇に踏み切った。



7.  あなたはクエーカー教会に関わっていると理解しています。日本人の読者に、その教会の信条について説明してください。そうした教義と個人的な信条により、ビジネスを進めるうえでどのような影響を受けていますか。

私は、小学校から高校まで、クエーカー教会系の学校に通った。地元に帰ると、父とともにクエーカー教会の礼拝に参加した。現在住んでいる地域では、通えるクエーカー教会はない。かなり遠いところにある。私の信条は確かに私の毎日のすべての行動に影響を与えている。教義はとても民主主義的だ。礼拝では、1時間黙って座っている。もし、他の信者が近寄ってきて何かを話しかけてきたら、立ち上がって話してもよいが、牧師や聖職者はそこにいない。クエーカー教はキリスト教の教義である。しかし、その教義は、自分自身、そして、神との個人的な関係に関するものだ。他人への奉仕と非暴力が中心的な教義だ。私の父は大学教授で哲学者なので、彼は私自身が考えるように促してきた。そして、私は、彼とは異なった信念をたくさん持っている。私は、動物に対する暴力は「誤った行動」だと考える。感覚を持っている生物に対する暴力は、「暴力」だと考える。このクエーカー教の信条は人間だけにあてはまるのではないと思っている。こうした教義を人間という一つの種から広範な世界に広げるべきだと思う。こうした信念が私の日常の行動に影響を与えている。




8. 201312月、和食が、その成分の新鮮さと栄養バランスを理由にしてユネスコの無形文化遺産に登録されました。ビヨンド・ミート社では、日本食をもとにした商品の開発を検討したことがありますか。

中国においては、市民が肉の供給に慎重になっている。また、日本では、放射能汚染の魚の問題に関心が集まっていると理解している。これらの食材に対して植物由来の食物を提供するための重要な役割を担いたいと思っている。これに関連して、世界で最大規模のマグロ会社と交渉していた。しかし、現在は、交渉の熱は高まっていないが、海産物の植物由来の代替商品の生産に、依然として関心をもっている。




9. 起業を目指している日本人にどのようなアドバイスをしますか。どのような教育や経験が必要だと考えますか。

まず、自分の心の声を聞かなければならない。私の場合、心の中にある声を聞こうとした。なぜなら、自分のコミットメント(言質)の根本的なレベルから行動を起こしていないと、あらゆる障害は克服することはできない。根本的な動機がなければならない。あなたが達成しようとしていることは、本当にあなたが望むことでなければならない。自分の両親や他人があなたに望むことであってはならない。もちろん、あなたはリスクをとらなければならない。あたなは、リスクをとならいためのたくさんの理由を思いつく。目標を達成しないことを正当化するたくさんの理由を思いつく。会社のなかで私の目標を共有しようとすると、ミーティングの参加者のひとりが、目標のひとつが達成困難かもしれないことを指摘する。誰も、否定的な内容を聞きたくない。私は、最終的に彼らがチームをどのようにゲームの勝利、つまり成功に導くのかを知りたいだけだ。私はバスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンのようなアスリートが好きだ。彼は、38.9度の熱があってもプレイし勝利する。起業家として成功するためには、不可能に思える目標を達成するという覚悟、決意が絶対に必要となる。



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