2015年8月25日火曜日

2015-08-25 どうして、人間はそういう行動をするのか?



Uri Gneezy Interview
ウリ・グニーズィー博士



カリフォルニア大学サンディエゴ校教授。オランダのティルバーグ大学で修士号と博士号を取得。シカゴ大学教授を歴任。彼の研究手法は、行動経済学を現実の世界に適応するものである。2013年に出版された『The Why Axis: Hidden Motives and the Undiscovered Economics of Everyday Life』(PublicAffairs、邦訳『その問題、経済学で解決できます。』(東洋経済新報社、2014年))は、日米ともに大きな注目を集めた。

最先端の行動経済学が解き明かす「どうして、人間はそういう行動をするのか?」


1.  あなたの研究は複数のトピックにおよんでいます。インセンティブ(動機付け)はいつどのように機能するのか。欺瞞(欺き)、競争心の男女差、行動経済学にもとづいた価格設定。あなたの研究の概観と主な発見を説明してください。

私の複数の研究に共通するテーマは何が人に行動を起こさせるか、つまりモチベーションは何かということだ。たとえば、インセンティブでいえば、インセンティブがどのような時に人の行動に負の影響を与え、どのような時に正の影響を与える、かそして、どのときに何も影響を与えないかを観察する。大部分のケースでは、インセンティブは何も影響を与えない。企業は社員にあらゆる種類のインセンティブを提供しているが、それらは社員の行動を変えることはできない。つまり、企業はインセンティブなどの供与を目的として、無駄に多額の資金を費やしている。

続いて、欺瞞のトピックに移ろう。私たちは、何が人に嘘をつかせるのかを考えることができる。この場合、お金がインセンティブである必要はない。権力もインセンティブになりうる。インセンティブが、人が嘘をつくことにどのような影響を与えるのか、私は興味をもっている。私たちの多くは、私がそう呼ぶ「嘘に対する嫌悪感」を経験する。私たちは、嘘をつかず、同じ内容の望んでいる結果が得られるなら、嘘をつきたいくない。けれども、多くの人が嘘をつくことに気付く。このため、そのような欺瞞の行為を起こすインセンティブについて理解することが重要だと私は思う。

同様に、ジェンダー(性差)に関する私の研究のすべてもインセンティブの影響力に重点を置く。特に、インセンティブに対する男女の反応がどのように異なるのかを分析している。競争的なインセンティブについての私たちの研究において、女性の反応のほうが男性よりも少ないことが分かっている。したがって、私たちが実施しているジェンダー研究もかなりの程度インセンティブに集中している。

追加質問: そもそも、何がきっかけで、インセンティブの問題に関心を持ったのですか。

とても幼いころから、なぜ人はそのようなことをやっているのか、いつも考えてきた。その行動の背後に隠れている動機は何なのだろうか。経済学の勉強をスタートする前から、何が人の行動の動機付けになっているかを理解することに関心を持っていた。私は、単にこの課題を面白いと思った。ときおり、私は自分の関心に苛立つことがある。たとえば、私が病院に行くときに、医者が私に何かを指導するときの医者の動機は何なのかと私は思いを巡らしてしまう。私は、インセンティブの質問に取り憑かれているが、それは楽しいことでもある。




2.  バーノン・スミス(Vernon Smith)博士が実験を利用して市場のバブルの形成を分析しました。また、ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)博士がプロスペクト理論を開発しました。彼らの研究は、ノーベル賞を受賞したことで、行動経済学の応用を経済学の主流派へと押し上げました。あなたの研究は、これらの学者の研究とどのような関係にありますか。

バーノン・スミス、ダニエル・カーネマン、エイモス・トベルスキー(Amos Tversky)は、行動経済学の父たちである。この分野がまだあまり人気がなかったときに、彼らは自分たちの研究を開始した。彼らは先駆者であった。バーノン・スミス氏は主にオークション(競売)に集中した。彼は実験を「風洞」(ふうどう)と呼んだ。もしあなたが、人々がどのように行動するかを知りたいなら、あなたは実験を行う。私は、一般的にこの種の競売や市場実験を行わない。しかし、バーノン・スミスはこの分野の研究者が現在採用している方法論を確立した。たとえば、心理学の分野では「ごまかし」がよく利用されるが、私たちの研究において、参加者をだましてはならないと彼は示している。私たちは、実験の参加者に報酬を支払う。言い換えれば、私たちは人々が行う実際の選択を分析しているのだ。

カーネマンとトベルスキーは両方とも心理学者であった。その結果、彼らは、経済学の問題をみるうえで、異なった視点を持ち込んだ。彼らは、理論を構築してから、その後「風洞」のような実験を行い、いつ、どのように機能しているかを検討したわけではない。彼らの研究は、多くの意味で、意思決定の心理学であるといえる。彼らの発見の多くは、行動に関する心理学についてであった。また、人が犯す間違いについての研究もあった。彼らは、危険(リスク)の条件下における意思決定のより記述的な理論を開拓しようとしていた。

私の研究は、他の研究者のなかで、これらの先駆者の研究に基づいている意味で異なっている。くわえて、私は現実の世界における重要な現象を分析している。最近の私の研究のほとんどは企業を対象にしている。慈善団体が募金を集めたいときを例にとろう。その効果を高めるために、募金の依頼の仕方にどのような行動経済学的、心理学的な要素を折り込めばいいのか。企業が、より多くのユーザーに自社のウェッブ・サイトをフォローしてもらいたいとき、どのようなインセンティブを導入できるか。前に述べたように、すべてのインセンティブが同じ効果を生むわけではない。このため、インセンティブの心理学を理解すれば、それをより効果的に使えるのである。

スミス、カーネマン、トベルスキーが行った研究と私の研究との大きな違いは、私は企業またはその顧客の行動を理解するために、企業と連携している点にある。このように、現実の世界により近づくのが必ずしも良いわけではないが、現在、行動経済学の分野はこのような段階にあると私は思う。カーネマンとトベルスキーがフレーミングという概念を構想し、それがどのくらい重要なのかを示した。研究室の実験では、ある問題を、一つのフレーミング*とは異なる、対照的なフレーミングで提示すると、人々が異なった考え方をすることを容易に示すことができる。私の研究では、この概念を企業に適用し、選択肢のフレーミングを変化させることで、その効果があるかどうかを分析している。

*問題や質問の提示の仕方で、人間の意思決定が異なること



3. カーネマンとスミスがノーベル賞を受賞した2002年以来、行動科学の分野はどうように進化していますか。行動科学は、今後の1020年間で、どの方向に向かっていくと思いますか。その発展を主導していく若い学者は誰だと思いますか。

私たちは研究室を離れた。それは大きな意味も持っている。フィールド(現地)に出向き、より自然な環境で私たちの仮説を検証しようとしている。もちろん、もはや、研究室での実験を行っていないというわけではない。私はまだ実験を行っているが、一つのツール(道具)として利用している。現実世界に入ることは私たちが行っている重要なポイントだ。たとえば、私たちが現在分析している応用はアフリカの発展の分野に関係している。この分野の研究は面白くなると私は信じている。

今から20年後、行動経済学がもはや「主流派経済学」から区別されない時代が到来することを私は望んでいる。行動経済学は人に関する学問である。経済学者以外の人間と話せば、これらの人々は、行動経済学がもつ「異なる別の分野としての必要性」さえも理解していないようにみえる。経済学が、いったいどうしたら非行動的であることができるだろうか(そんなことはありえない)。私たちが行動経済学者であることは、他の経済学者が非行動経済学者でなければならない。これは、混乱させる説明だろう。

将来の教科書には行動経済学についての別の章がないことを望む。その代わりに、それぞれの章は経済の単純化した前提にもとづいたモデルを提示してから、これらの前提が当てはまらない場合に何が起こるか、行動経済学に基づいた説明があることを望んでいる「AB、またはC(の条件)が起こるときに予想できる結果がこれだ。なぜなら、人間の行動は、経済学が活用する単純モデルが示唆するものより複雑だからだ」

現在は創造性豊富なアイデアをもつ若い研究者が足りない。行動経済学の分野にはもっと若い研究者が必要である。この分野には優秀な研究者が数名いるが、スーパースターの名前は浮かばない。







4.  あなたの最新のベスト・セラー、『The Why Axis』(邦訳『その問題、経済学で解決できます。』)の主な主張をまとめながら、その概観を示してください。

私の本が日本でも人気があることを喜んでいる。この本では、私たちが人々の実際の行動を見て、モデル、理論、実験から洞察を導出しようとしている。私たちは、その洞察を現実の世界に持ち込み、実際に、どのように機能しているか検証している。行動経済学が一つのトピックだ。そして、現地実験がもう一つのトピックだ。私たちは単に推論を立てているではなく、理論を検証している。現地実験の有利な点は因果関係の理解を可能にすることである。

ある商品のネット上の販売価格を企業に変更してもらえば、その効果を観察できる。その場合、変化の効果を分離できる。ひとつのグループがある値段の特定の商品を検討し、他のグループが別の価格で検討したことを観察できる。そういったデータを利用して、需要関数が導き出せる。あなたの行動理論にもとづいて変化を生み出すとき、何が起こるかを実際に検証できる。この本が行動経済学と現地実験に関するものであることは確かだ。そこで、私たちは、人間の行動を理解し、同時に、推論を立てるのではなく実際に検証している。

私たちは次の理由によりこの本を執筆した。すなわち、あるアイデアに関して、直感に頼るのではなく、その考えを実際に検証することが重要であるというメッセージを企業に伝えたかったのだ。企業がインセンティブを設定するとき、頻繁に直感に頼っている。これらの企業は、現地実験から利益を得る可能性が高い。それにより効率も向上し、経費の削減も実現できるだろう。



5. 学術的な研究にくわえ、あなたは、企業が行動経済学的な原理を事業運営に応用することをサ
ポートするコンサルティング業務も行っています。具体的な例とその結果を示しながら、あなたのコ
ンサルタント業務について紹介してください。

私たちは、大手保険会社と連携して取り組んだ。その保険会社は、自社従業員にインフルエンザの予防接種や他の検査を受診してもらいたかった。インセンティブとして、その同社は、従業員に、1接種当たり10ドルを支払い、合計で1億ドル(100億円)をこのプログラムに費やした。私たちは、このインセンティブの効果を検証するために現地実験を行った。ある条件下で、あるグループに対して、従業員1人当たり予防接種や他の検査の5件まで、10ドルずつ支払った。もうひとつの条件下では、他のグループに対して、5つの検査をすべて完了すれば、インセンティブのお金を支払うと告げた。データを分析した結果、企業はインセンティブとして、私たちが名付けた「タダのお金」を費やしていたことが明らかになった。多くの社員は、お金をもらわなくても予防接種を受けたのである。もちろん、そうした社員は喜んでお金(インセンティブ)を受け取ったが、それが予防接種を受けた理由ではない。この場合、企業が5千万ドル(50億円)で、同じ目標を達成することを支援した。その結果、この保険会社は当初の経費の半分を節減できた。



6.  イスラエルで学部を卒業してから、あなたはオランダにあるティルバーグ大学で博士号を取得しました。つまり、教育のすべてはアメリカ以外で受けたことになります。ティルバーグ大学で受けた教育訓練はアメリカの大学が提供しているものとどのように異なりますか。また、類似点は何ですか。

あなたの最初の質問に答えれば、人生に起こる他の多くの出来事と同じように、私がオランダで博士号を取得したことは偶然だった。私は、イスラエルのテルアビブで育ったので、そこで学部を修了した。大学を卒業してから、オランダの仕事を引き受けた妻と一緒にオランダに引っ越した。私たち夫婦は、事前に慎重に設計した何らかの全体計画に従ったわけでない。

あなたの2番目の質問に答えると、オランダでの勉強は私の人生に大きな影響を与えた。アメリカの大学では、研究の方法としてひとつの方法論と考え方しか学ばない。アメリカの外、たとえば、欧州、アジア、他の国では経済問題に関する考え方はもっと多元的である。米国の大学のトレーニングの平均的なレベルは、他の国よりもはるかに高い。欧州の大学には、高度の能力をもった研究者は少ないものの、視点の多様性は評価できる。異なった思考方法があることは望ましい。伝統的な経済学の考え方の訓練を受けていない学者のほうが、想像性を容易に発揮できる余地がある。この意味では、私がアメリカの大学で教育を受けなかったことは幸運だった。もしアメリカで教育を受けていたら、もっと厳格な正統派経済学的な訓練を受けていただろう。それに若干洗脳されていたかもしれない。その場合、(現在の自分の手法のような)違う種類の研究を行うことは難しくなっただろう。

博士号の取得後、イスラエルに戻って、4年間、大学の教員を務めた。その後、2つの理由で、アメリカで研究者のキャリアを続けることに決めた。まず、経済学の研究分野では、アメリカがまだ重力の中心(王者)である。欧州で、もっと容易にキャリアを造り上げられようになってきているが、学者は他の国よりアメリカのほうがキャリアを構築しやすい。香港、日本、シンガポール、中国も発展しているが、米国がまだ経済学の中心である。私は、経済学のメジャーリーグに入りたいと希望したので、渡米したのである。2つ目の理由は純粋に経済的なものだ。イスラエルでの給料は私が望んだライフスタイルを許さなかったからだ。





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2015年7月25日土曜日

2015-07-25 実験がイノベーションの必要条件です!




ロドリゴ・カナレス博士

マイクロファイナンスとは何か?
イェール大学経営大学院 ロドリゴ・カナレス博士

実験がイノベーションの必要条件です!


イェール大学経営大学院准教授。組織行動論を担当。MIT博士(グローバル経済・経営、経済社会学)、MBA MIT)。『世界の経営大学院の40歳以下の最優秀教授40名』(2014年)に選ばれる。個人の経歴、職位、地位が既存の組織構造にどのような影響を与えるかを研究している。主な研究として、メキシコの麻薬戦争の組織的な影響の分析がある。


1. あなたはマイクロファイナンス (小規模金融)や社会事業の分野について、かなりの研究を行っています。何がきっかけで、比較的新しいこの分野にあなたの関心が向いているのですか。

まずマイクロファイナンス(貧困者向けの小口金融)は実際には新しい分野ではないということを述べて、回答を始めたい。マイクロファイナンスは1970年代から存在している。この分野に関してかなりの研究が行われてきているが、そのほとんどは経済学の視点からである。契約の構造、さらには歴史を通じて、どのようなインセンティブによって今まで、その効果を保っているのかを理解することが試みられた。したがって、経済的な現象として、マイクロファイナンスはそれほど新しくない。

私がマイクロファイナンスに関心をもったのは次のような理由による。マイクロファイナンスの契約の構造と動機についての研究が多いにもかかわらず、世界中のマイクロファイナンスの組織を実際に見渡せば、かなり異なる契約の構造をもっている。そして、その顧客とローン(貸し出し)担当者のインセンティブ構造も相当程度異なっていることが観察できる。それでも、なお、すべての組織が順調に業績にあげている。

私には、既存の多くの研究者が次の点を見逃しているように思えた。つまり、実質上、契約(の構造)が、マイクロファイナンスにおける世界中の多様性の大部分を説明しないにもかかわらず、研究対象がその点に集中していたということだ。驚いたことに、誰もマイクロファイナンスの組織的な側面あるいは組織構造を考察していなかった。この点はとても興味深い。なぜなら、マイクロファイナンスが、きわめて労働集約性の強い現象であり、また労働集約的なサービスであるからだ。こういう理由により、マイクロファイナンスに携わる組織のマイクロ力学は興味深く、複雑であるに違いないと考えた。それが、私をこの分野に引き付けた要素だった。

このように、誰も組織力学を考察していないという事実があった。それにくわえて、世界中で、マイクロファイナンスが、市場原理を通して貧困と戦う社会事業のモデルの例として認められる側面もある。私は、そうした考えに少し懐疑的だった。というのは、マイクロファイナンスが社会問題にどの程度の真の影響を与えていたかについて、かなり入り混じった結果を見ていたからである。この2つが、私がマイクロファイナンスの分野に関心をいだいた理由である。私は、なぜある組織が社会的影響を及ぼしているのか、理解しようと考えた。

2の動機として、どのような組織構造が、マイクロファイナンがうまく機能することを可能にするのかを理解したいと考えたことがあげられる。組織論の学者として、私はこの質問に関心を持っていた。くわえて、発展途上国に興味があり、開発問題のより良い解決法を見出すことに関心をもつ者として、最初に、マイクロファイナンスに注意を向けた。こうした初期の動機が、最終的に社会事業の他の形態への関心に結びついた。マイクロファイナンスの研究を通して、どの社会事業モデルでも必然的に直面する緊張関係や矛盾に気づき始めた。


2. 感動を呼んだあなたの最近のTEDトークで、経済理論を活かし、メキシコの麻薬カルテルが実際に洗練された社会事業であることを説明しました。私たちは、あなたの分析から、いかに米国などの国において麻薬の消費を減らすかについて、どのような教訓を得ることができますか。


それについて2つのことを言いたいと思う。最初に、私たちが造り上げてきた世界麻薬マーケットの構造の組織的な示唆を理解するために、私は、経済学の原理を適用するだけではなく、もっと広範な社会学な原理も適用している。私の説明を2つの部分に分解しよう。

TEDトークで私が議論したのは次の点である。この問題の中心に目を向ける、すなわち、世界の麻薬取引や麻薬関連の暴力の動的力学の背後にある真の要因は何かを考えるとき、私たちは常に、(麻薬の)供給の問題としてこの現象を攻撃することに気づく。そして、私たちは常に、麻薬犯罪者を批難し追求する。実際、問題は、麻薬市場が何十万ドルという市場であることにある。たとえば、米国の麻薬市場は巨大である。米国における麻薬への需要は膨大である。麻薬を配達するリスクを負う覚悟を持つ人が得られる収益を考えれば、次のような不可避的な結論に行き着く。すなわち、麻薬に対する需要がある限り、どんなにリスクが高い仕事でもそのリスクを負い、麻薬を配達するために何でもやる人間が常に存在するであろうということだ。

麻薬市場の大きさ、市場から得る収益、需要の回復力を考えれば、そうした事実を否定することは不可能だ。麻薬愛用者が麻薬の品質や価格の大幅の変動を受け入れ、その麻薬を使い続けている。その結果、たいへん魅力的な需要になっている。供給サイドがその需要を満たす道を見出していく。このため、いくら供給サイドを制限しようとしても、それを止めることはでいない。なぜなら、そこには需要がいつも存在するからだ。

この前提からスタートすれば、麻薬の供給を止めるために私たちが行っていることのすべてが道理に反していることになる。麻薬の供給を根絶することなどできない。さらに、麻薬の供給元を追求することが非合理であることだけでなく、追求することで、事態はさらに悪化していることを悟り始めている。なぜか?もし、麻薬密売人を追えば、そのうち何人かは逮捕できるのは明らかだ。しかし、もし密売人をさらに追えば追うほど、革命的な動態力学を生み出す。すなわち、この巨大マーケットにドラッグを供給する者として生き残った者は、最も冷酷で攻撃的になる。そして、世界中で追われるなかで生き残る、最も戦略的に複雑な組織になることを確かなものにしてしまう。

事実、麻薬の供給源を追求する私たちの戦略によって、ますます暴力的になるこれらの組織をつくりだしている。つまり、私たちは、最も冷酷で、そして最も洗練された(麻薬)組織のみが存続できる環境を造り上げてしまった。こうした組織が生き残りをかけて戦っていることには疑いの余地はない。なぜなら、私たちが何ら対処していない巨大な市場が存在するからだ。私たちが忌み嫌う問題の兆候、すなわち、私たちが嫌悪する麻薬密売人を追求するうえで、彼らの存在理由を無視することにより、状況をさらに悪化させている。まさに、この状況は薬物耐性菌を造り出しているがごとくだ。間違った病気に対して不適切なタイミングで抗生物質を使用することにより、最終的に超耐性菌を生み出だすことになる。これが問題の一部である。

経済学の需要原理を適用し、動機とその需要が引き起こす市場構造を分析することにより、私たちは問題を悪化させていることに気がついた。組織が生き残るためには、相当程度洗練されなければならないという環境を作り上げた。その結果、その組織は市場の需要を満すために物流や運送ネットワークを構築するための戦略を考え抜いた。それだけでなく、自分たちの組織の存在理由を正当化し、メキシコ国内や国際市場のなかで制度化するために、非常に洗練された戦略を展開した。彼らは、洗練されたPR活動やメディア・キャンペーンを開発し、メキシコ市場で彼らが行っていることを制度化しようとしている。そして、その過程で、彼らは、とても重要な手法を使って、政府機関としての権限を弱めることに成功した。私たちは、単に、これらの麻薬組織を弱体化することに失敗しているだけではなく、実際に、それらと戦うためにツールとして利用しようとしている政府機関の権限を弱めているのである。こうした状況は、私たちの心得違いの対処法によって生み出されている。そして、それは、この問題の根本原因を理解できていないことに起因するのだ。

この状況から何を学ぶべきかと問われたとしよう。第1に、私たちの解決策はうまく機能しない。それは状況を悪化させている。したがって、第2として、この問題の実相についての議論を完全に転換しなければならない。もちろん、私も何が真の解決策になるのか確実に分からない。私は、麻薬使用の合法化に賛成していないが、他方、反対しているわけでもない。私が提唱しているのは、麻薬の供給源の追及が単に非合理であるだけでなく、非生産的でもあることを認めなければならいということだ。そこで、この問題に対処するために、何ができるか、何をすべきかに関して率直な議論を行わなくてはならない。その議論は、麻薬に対する膨大な需要の存在とそれを減らすことに対する無力性を認めるところから始めなければならない。それが出発点だ。その時点で、すべてを合法化するが、人々の消費を制限する方法を検討することを決めるかもしれない。換言すれば、「すべての麻薬密売人を投獄しよう」というような単純な考えをやめた方がよい。なぜなら、それは絶対に不可能だからだ。

私たちは麻薬関係の暴力を私たちから離れた場所で起こっている現象として考える傾向がある。メキシコでは、お互いが対抗し合って麻薬犯罪者(組織)が存在する。仮定の話だが、自分が麻薬の使用者または使用者の友達であり、あるいは麻薬の使用を容認したら、もしくは政策を改めるために何もしていないなら、あなたがその問題の一部であることに気がついてほしい。そうした人たちはこの問題を悪化させている。私のTEDトークのひとつの目標は、私たちが方針を変えるために、もっと積極的に行動する必要があるという認識を引き起こすことであった。ここでいう「私」とは、「すべての人」という意味だ。なぜなら、私たちのすべてがこの問題の責任を負っているからだ。


3. あなたの研究業績書を読んだときに、2010年のあなたの論文である“From Buddha to the Boardroom: Leadership Education and the Four Pillars of Courageous Leadership Type”(「仏陀から重役会議室へ:リーダーシップ教育と勇敢なリーダーシップの4つの柱」)に目が留まりました。この論文は具体的に何についての論考ですか。仏教の原則を経営者教育に適用する着想をどこから得たのですか。

その論文タイトルは2から3つの異なった意味での「言葉の遊び」である。論文に紹介された考え方は、私たちがMIT(マサチューセッツ工科大学)のDalai Lama Center for Ethics and Transformative Values (倫理と変革の価値観のためのダライ・ラマ・センター、略してダライ・ラマ倫理センター)のために開発した変革的なリーダーシップに関する研修に由来している。私は、このセンターの運営委員会のメンバーである。倫理センターが設けている目標の一つは次のものだ。すなわち、リーダーがより倫理的で、価値観に導かれた、より多くの意思決定を行うことができるように、ツールと思考の枠組みを提供する教育研修を設計し、実施することだ。

もう一つの倫理センターの目標は、倫理や価値観に基づく研修を専門大学院に導入することである。具体的な大学院として、MBA(経営修士)、医学、法律(弁護士)と警察の教育課程などを想定している。その目標に向けた試行錯誤的な実験を通じて、倫理観や価値観に基づくリーダーシップに関する経営幹部向きの研修を設計することになった。この論文は、その研修を通じて導入を目指している4つの柱を議論している。「From Buddha to the Board room」(仏陀から重役会議室へ)という題名に関する質問であるが、研修自体は完全に世俗的で、非宗教的であるにもかかわらず、研修のなかで仏教からの手法を採用している。

ダライ・ラマ倫理センターの創設者兼センター長は、西洋でたいへん有意義な欧米教育を受けた実際の僧侶である。私自身も仏教の教えを実践しているので、多くの研修の内容は仏教の手法に依拠している。その中には、内省をするときに使う手法、参加者が自分の感情の状態を意識することを支援する方法、そして、周辺の人々との繋がりをもっと意識してもらうための方法、さらには、必要なときに、気軽に助けを求められるようになるために謙虚さを深める手法も含まれている。

論文のタイトルが言葉遊びであるもう一つの点を述べよう。この研修で発見できたより面白い点は、参加者を僧侶と、たとえばMBA学生の混成にすることで、とても強力な結果が生じたことである。これらの研修を実施した結果、僧侶の強みや弱みとアメリカのMBA学生の強みと弱みとの間に、とても面白い相補性が発見できた。私たちは、強みと弱みは殆ど完全に補完し合っていることに気づいた。僧侶はとても謙虚で、内観的であり、驚くほどの洞察を達成したが、そうした自分の考えを実践化することに苦労していた。「どうやって、この洞察を、今日実践できる行動に転換させればいいのか」という質問に彼らは悩んでいた。要約すれば、僧侶たちは、自分の洞察とリーダーシップを実践するための活動を構造化することに悪戦苦闘していた。 

一方で、MBA学生は正反対の問題に苦しんでいる。彼らは行動をとり、活動を組み立て、何かをやることが得意である。しかし、彼らは、内観と自分に対する洞察を結びつけることが非常に苦手である。MBA学生は、多くのことを(総合的に)見渡すように訓練されているので、この自分の心との接近に苦労する。僧侶とMBA学生を混ぜると、とても面白い方法で、お互いに補完できる。これらの研修は素晴らしい経験であり、論文のタイトルのもう一つの源泉ともなった。このように、私たちは、この研修に仏教の手法を折り込み、その過程で、いくつかの興味深い結果を得た。


4.      あなたは20128月のインタビューで、既存組織が変化を伴う革新に抗うのが自然だと述べています。組織と同じように、ある国々、特に日本は、とりわけ、動的かつ劇的な変化に抵抗する傾向が強いといえます。日本人も日本の組織も、リスクの高い機会の追求よりもリスクの低い現状維持を好みます。もちろん、日本は、アベノミクスの導入によって最近もたらされている僅かな改善も見受けられます。とはいえ、依然として長期化した不況という特徴をもつ「失われた20年」の悪影響に悩まされています。日本政府、日本企業、日本人が、経済の状況と、世界市場における日本の全体的な競争力を改善するために、より革新的になる必要があります。そうした日本に対して、あなたはどのような提案をしますか。

組織に関する私の授業は13回のセッションで構成されており、広い範囲のトピックをとりあげる。その授業のうちのひとつは実験と失敗についてである。私がそのセッションを行うとき、いつも学生に次のように話す。「この13回の授業の中で、1回のトピックしか皆さんの記憶に残らないかもしれないことを分かっている。私は、全ての講義を慎重に準備するが、皆さんはそのほとんどを忘れていくことを認識している。運がよければ、皆さんは一つのトピックは覚えている。その場合、皆さんに、実験と失敗の重要性についてこの授業を覚えておいて欲しい」。革新(イノベーション)に弾みをつけるうえで、実験と失敗がいかに重要かを把握さえすれば、イノベーションに関係するすべての課題に対応できるようになる。あなたは、より実験的になるように組織構造を発展させることができる。また、失敗をより受け入れやすくするために、どのような類型の組織文化を醸成する必要があるのかを理解できるようになる。

これらすべての意思決定は、革新を促進するうえで「実験と失敗の重要性」を深く受け入れることにより、なされる必要がある。その理由は、イノベーションとはそれ以前に試みられたことがないことをする取り組みという点にある。その結果、失敗するかどうか、を選択することは不可能となる。それ以前は誰もあなたが試みることをやったことがない。だから、あなたは失敗する。

このとき導き出される質問は、あなたがどのように失敗するかということだ。小規模で管理された方法で、前進できる基本的な何かを教えてくれ、速い進展を可能にしてくれる。そのような小規模の形で失敗するのか。あるいは、あなたが進展する能力を完全に阻むように、大規模な失敗をするのか。革新を追及する際に、失敗するかどうかの代わりに、どのように失敗するのかが唯一の選択肢だとしよう。ここでの教訓は、あなたは、可能な限り、何が効果的で何がそうでないかを把握できるような、小さくて、低コストの実験を設計すべきだということだ。

私は日本に詳しくないが、多くの日本人の学生を指導している。また、私の学生の多くはアジア人であり、私にはアジアで教えた豊富な経験もある。多くの国の文化と歴史において、そして特に日本では、立場がとても重視される印象を受けた。つまり、社会制度において、ヒエラルキー(上下関係)が大きな役割を果たしている。

同時に、「失敗することのコスト」がとても高いことにも気づいた。誰かが失敗すると、大騒ぎになる。また、失敗には深い羞恥心がともなう。この2つの要素が合わされば、人々は絶対に革新的な何かを試みたくない完璧な環境を造り上げてしまう。イノベーションは、一般的に、市場か消費者に近いところにいる、地位が低く、世界における問題をより詳しく認識している人々から生まれる。地位の高い人間は、一般的に「現実世界」から遠く離れているので、問題に対応し革新を可能にする洞察を得ることが困難な状況にある。

また、前述のとおりイノベーションは実験と失敗を要求する。ヒエラルキーと高い地位が中心的価値観であり、どんな失敗もとてもひどくて恥ずかしい行為だと見なされる社会システムの場合、革新に対して強力な抵抗力が発生する最適な条件が生まれる。

私なら、日本で、エンパワーメント(権限付与、権限委譲)を促進するだろう。私なら、役職(上下関係)に関係なく権限委譲をするだろう。そうすることで、(組織が)より実験的になることもできる。また、失敗の解釈を微調整するだろう。その組織では、失敗とは「(個人の私ではなく」私たちが失敗した」あるいは、「まあ、まだ成功していないが、この失敗からいくつかの重要な教訓を学んだ。次の実験に適用しよう」とどちらの解釈をしているか、だ。

失敗が許容されない組織では、社員は全てが完璧であることを確かなものにするために全力を尽くす。イノベーションは必ず起こるという性質のものではない。なぜなら、イノベーションが発生しているとき、私たちは何が起こるのかを理解していないからだ。最終的に、失敗の規模がより大きくなると、失敗を嫌う組織文化を強化してしまう。それぞれの失敗が大きくなり、失敗のコストに対する意識をさらに強調してしまうからだ。その結果、人々は失敗をさらに避けようし、より完璧な解決策を求めてしまう。こうしたことはうまく機能せず、より大規模な失敗につながり(さらに完璧なソリューションを追求するというように)、自己強化的な制度を生み出してしまう。

ここであなたがすべきなのは、この悪循環から抜け出し、社員たちがもっと実験的になることを援助することだ。くわえて、すべての者が失敗をどのように経験するかに関する文化を変えたいとも思うだろう。私は、「失敗を讃える」考え方を支持しているわけではない。しかし、組織文化が、失敗というものに価値を見出す必要があると考える。私たちは失敗から学び、その教訓を共有すべきである。そして、失敗を、問題を解決するための決定的な段階として認識すべきなのである。


5.      あなたは、イノベーション問題に創造的に取り組んだ企業の例として、IBM社をとりあげました。グーグル、アップル、アマゾン、フェイスブックの各社は、すでに、あなたが提案する社内競争と組織階層横断的なチームの組成を導入したように見えます。にもかかわらず、これらの4社は、IBMのようなイノベーション問題に直面すると思いますか。これらの4社が、現在のように高いレベルでイノベーションを維持するために、その他の方法はありますか?

これはたいへん面白い質問である。一言で言えば、私たちには分からない。

IBM社は倒産寸前であった。IBM社はポラロイド社やコダック社ともう少しで同じ運命をたどるところだった。しかし、ある時点では、CEO(最高経営責任者)、取締役会、そして経営陣が問題を把握し始め、IBM社の業績を引き下げていた全ての要因を取り除く決意をしたのである。それは極めて困難なことだった。なぜなら、それらの多くの事業が多くの収入を生み出していたからだ。それらの事業の各分野が損失を生んでいたわけではない。ある時期、これらこそが中核事業であり、その時点でもまだ多くの収入を生み出していたのである。これらの事業分野が収入の源だったからこそ、これらを継続しながら、同時に、経営陣は次のことを悟った。つまり、そうした事業が収入を生み出しているからこそ、IBM社を取り巻く自社の新しい営業環境を構成する「変化し続けている世界」に合わせて、自社の既存事業を維持しながら、さらにビジネス・モデルを変革することが不可能だと。しかし、極めて難しかったにも係わらず、IBM社はこれらの事業分野を取り除く覚悟をした。

同僚であるディック・フォスター氏と、イノベーションについてよく話し合っている。私たち二人とも同意しているのは、成功している既存企業の大きな課題が、革新の継続と会社の存続に必要な複数な要素のバランスを保つことにある点である。第1に、企業はオペレーション上の優秀さを維持しなくてはならない。現在の収入を生み出している事業のすべてをうまく遂行しなければならい。企業の主な収入源として、それらの活動は多くの資源と活力を吸収していく。

しかし、卓越するレベルで運営することが企業に求められる唯一のことではない。事業の選択肢も創造することも必要である。企業は、現在の運営にイノベーションを漸増的に加えることに投資するだけでなく、将来に向けた新たな事業選択のポートフォリオを創造するための投資活動も行わなければならない。もちろん、そうした投資活動の最終価値を予想することは不可能だが、それが2つ目の必須事項である。

3番目は組織の財務上のコントロールを適切に行うことである。要約すれば、企業は、運営上の優秀さを維持し、事業の選択肢を創造し、財務上の支配も同時にしなくてはならない。

私は、アマゾン社には少し懸念を抱いている。同社は、興味深い運営上の優秀さを構築したとはいえ、財源上の適切なコントロールがなされないで事業運営されているからだ。同社は絶えず赤字を計上している。今のところ、株式市場はアマゾンを猶予しているが、株式市況が後退すると、同社に対する厳しい合図が発せられるかもしれない。そのような合図が出れば、アマゾン社は窮地に陥る可能性がある。なぜなら、同社は、財務的に健全な運営を行っていないからだ。

企業にとって必要な4つ目の点は、事業を取り除き、交換する覚悟をもつことである。かつて中核事業であったが、活力と機動性を保つ可能性が制限される事業分野を追求するという考えは捨て去るべきであろう。そうした事業がまだ価値のあるうちに売却したほうがより。これを実施するためには多くの自制が必要となる。この意味で、とても興味深い組織が3M社である。同社は、期待成長率を下回っている子会社や事業を、絶えず売却し、閉鎖しており、一方で常に新規事業を立ち上げている。これらの活動は3M社の規律の一環である。

アップル社も同じ意味で注目されるべきだ。同社は、もはやダイナミズム(力強さ)を失った商品と事業分野を閉鎖することに何ら疑念を抱かない。商品の販売を中止することで顧客を苛立たせてもアップル社は販売を中止する。グーグル社も、業績のよくない事業分野を閉鎖することに対して、比較的厳しい規律を守っている。

私はフェイスブックを心配している。具体的には、同社は企業のアイデンティティ(独自性)を特定のサービスと商品に緊密に結びつけすぎている。一つの商品によって自社の独自性を定義する企業は自らを脆弱なポジションに置いてしまう。

すべての商品と同じように自社商品が製品ライフサイクルを経るにつれて、その商品は収益を生み出す能力を失ってしまう。特定の商品によって自社の独自性を定義する企業は環境が変化するにつれて、環境適応に関して大きな困難に直面する。

自社の独自性が顧客にサービスと解決策を提供する基盤のうえに構築されているなら、市場の変化に対応するために、商品販売を中止し、入れ替える意志がはるかに強くなる。(前述のとおり)アップル社が容易にそれを実施していることが確認できる。フェイスブックが真にこの方法を採用しているかどうか私は分からない。フェイスブックが努力している兆候はあるが、同社のアイデンティティは、社名にもなっている「フェイスブック」という本来の商品に結びついていると私は思う。商品として、フェイスブックが市場から消え始めたら、同社はいくつかの問題に直面するだろうと私は考える。



2015年6月26日金曜日

2015-06-26 ビッグデータとはデータの大きさではなく意思決定に与える影響力の大きさだ!



Dr. Harikesh Nair
ハリケシュ・ネール博士
(スタンフォード大学経営大学院)


ビッグデータとはデータの大きさではなく意思決定に与える影響力の大きさだ!


スタンフォード大学経営大学院教授。マーケティング担当。応用経済学と計量モデルを用いて、マーケティング・データを科学的に分析して、消費者行動と企業の意思決定を解析している。研究分野は、価格決定、インセンティブ設計、ソーシャルメディア、ネットワーク効果、テクノロジーの普及など多岐にわたる。シカゴ大学博士(経営学)。『世界の経営大学院の40歳以下の最優秀教授40人』(2014)に選ばれた。


1. 昨年、あなたは、「Building Better Employee Incentives with Big Data.」(ビッグデータを活用して、社員のためのより効果的なインセンティブ制度を設計する)という簡潔な講演を行いました。そのスピーチの重要な点を要約してください。ビッグデータをどのように定義しますか?


データの「大きさ」(”bigness” of data)は、その量、または収集できる速度ではなく、むしろ、適切に適用されるときに、意思決定と結果に与える影響力の波及能力により、定義されるべきだと、私は思う。私の考え方では、ビッグデータは次のような事実を意味する。つまり、新しい方法により、情報と分析結果を、マネージャーがもつその領域の知識と組み合わせることで、組織に大きなインパクトを与えることである。これが、私が考える「ビッグデータ」である。

多くの企業が、どのように顧客と相互に作用しあっているかについて、データを収集するために莫大な投資をしたてきた。それを、私たちはCRMcustomer-relationship management)あるいは「顧客情報管理」と呼んでいる。現在は、私たちは、(企業と顧客の)接触地点や顧客がどのような行動をとったのかなど、顧客についての多くの情報を追跡できるようになっている。それにより、顧客と会社との相互作用の分析に対して革命がもたらされた。

私がビデオで述べているのは、企業内でも類似の革命が起こっているということである。具体的に述べよう。すでに、顧客と企業との相互作用を統計的モデルにすることができる。それと同じように、従業員がどのように行動するか、組織内で従業員同士がどのように相互に影響しあっているか、を分析し、さらに、そうした従業員の行動を細かく統計モデル化できるようになっている。そして、そうしたことすべてが追跡可能となっている。私たちは、企業を内部市場として捉えることもできる。これが近い将来起こる画期的な変化だと私は思う。つまり、「ビッグデータ」という概念が企業内や組織内に入ってくる。

重要な事実は、私たちは、現在まだ、どのような要因によって従業員が優秀になるのか、本当に理解できていないことだ。私たちは、なぜある従業員が優秀で、他の従業員がそうでないか、さらに何が生産性を高めるかを、体系的に理解していない。たとえば、チームが従業員の生産性を高めるかどうかを考えよう。孤立した作業で、あまりうまく仕事ができない従業員がいる。しかし、彼らを一緒にしてチームにすれば、期待を上回る成果を出す。では、誰を一緒にしてチームを編成したらよいのか。類似している従業員か、あるいは異質の従業員か。何がうまくいくか。そうしたことを私たちは本当に理解していない。新たなシナリオの優位な点は、誰が誰と一緒に仕事をしているか、彼らがどのように相互に作用しているかを追跡し、異なったチームの構造で、生産性がどう変化するかを検証できることだ。さらに面白いことに、こうしたすべての情報を、誰が高額の給与を得たか、誰が賞与や歩合給をもらったかのような伝統的な人事管理情報と組み合わせることができる。そして、こうしたデータを従業員がとった行動と照合することができる。その結果、次のような質問を組み立てることができる。「この従業員にこの金額の歩合給を支払ったら、彼の生産性がどれほど増加するか」つまり、私たちは、現在、定量的に歩合給の価値が測定できるのだ。



2. 企業の業績を改善するうえで、他のどのような分野においてビッグデータが特に有益だと思いますか。どのようにしてマネージャーと社員は、体系的にそういったデータを収集できますか。

私の同僚が提供した喩えを使うと、「ビッグデータとは石油のような天然資源」である。自然のままの原形では、石油はあまり役立たない。まず、それを掘削して貯蔵しなければならない。それから、洗浄する必要がある。最終的に、精製し、自動車やジェット機のエンジンが消費できるような状態に変換しなければならない。

データもそれに似ている。第一段階は収集である。しかし、単に大量のデータを収集しどこかに保存するだけではあまり役立たない。ビジネス上の質問に役立てるために、そのデータを体系的に片付けて整理しければならない。最後の段階が組織にとって最も大きな課題だと思う。すなわち、データ自体は、特定の「物語」を伝えないし語らない。ビジネスや専門分野に関する知識と組み合わされ、正しく解釈されて初めて価値をもつ。適切な実験の設計、問うべき質問、そして提案するためにデータをいつ使用すべきか、そして分析麻痺(analysis paralysis、過剰分析の結果、意思決定ができないこと)を避けるために使用すべきでないときはいつか。そうしたことが、データに関して、マネージャーが考えなければならない質問である。

だから、データの収集だけでは、あまり大きな変化はないと私は思う。分析結果の使い方に精通している聡明な個人が(ビジネスなどの)専門分野についての知識と組み合わせるときに、それは強力になる。企業の最も重要な課題はこうした能力のある人間を見つけることである。それは容易なことではない。人的資本の不足はきわめて現実味のある問題だ。ビジネスの分野に詳しくない、優秀な統計学者がいる。一方で、あるビジネス分野で訓練を受け資格も有するが、定量的に考える訓練を受けたことがない、あるいはデータにもとづいた思考方法が理解できない人材もいる。企業は両方とも可能な人材を見つけなくてはならない。どちらか一つの能力だけを有していても不十分である。つまり、企業は、こうした人的資本の側面に注意を集中しなければならない。

データの収集、洗浄(整理)、視覚化においてコンピューターソフトの大きな革新が起こっている。これらの作業のための素晴らしいソフトが存在する。しかし、第一線のマネージャーがこれらのデータを使って意思決定をしない限り、データはビジネスに何も影響を与えない。このデータをどのように活用しビジネスを前進させるかを理解する問題に比べれば、データの収集、整理、視覚化の要素は解決しやすいと思う。こうした目標を達成するために、企業は、既存の経営者をトレーニングし、新しい人材を採用し、また、マネージャーに意思決定の権限を委譲する必要がある。大学の役割は、積極的に質の高いトレーニングを数多く提供し、必須の技能を有している卒業生をより多く社会に送り出すことである。こうした課題に協力しながら取り組むべきである。とにかく、現在、有能な人材が極めて不足している。



3. それほど昔のことではありませんが、あなたはフェイスブックのメッセージ機能に関するビッグデータの研究を実施しました。それは、ソーシャル・メディアのコンテンツがもつ顧客エンゲージメント(ブランド、商品への愛着)への効果を調べるものでした。その研究を要約して、主な結果を説明してください。その結果はどの程度日本のような国にも当てはまると思いますか。

その研究の目的はソーシャル・メディアの文脈における、広告内容の役割を研究することにあった。この研究の背景を理解してもらうために次のような質問から始めよう。企業が広告に多額の資金を注ぎ込むとき、消費者は何を推定するだろうか。仮に商品の質が低かったとき、徹底した広告の影響で多くの消費者が商品を購入すれば、企業は悪影響を受けるだろう。したがって、企業が広告を重点的に活用するという事実は商品が良質である合図を消費者に送っていることになる。ここで重要な点は、企業による徹底した広告は商品が良質であることを消費者に示唆するということである。これを知りながらよく広告を利用するのは、優良企業だけである。悪い会社は広告を利用しないことがこの消費者の考え方を検証する。要するに、これがいわゆる広告のシグナリング・モデルである。

このモデルには不十分な点がある。それは、広告の恩恵に浴するために、必ずしも徹底的に広告する必要がないことを示唆する。単に、自社が消費者にとって良い会社だという合図を送るために少々お金をかけるだけで十分である。それにもかかわらず、多くの企業がかなりの資源を投じて、広告代理店や(広告の)クリエイティブ・ディレクターなどと契約を結び、印象的な広告宣伝を設計してもらう状況が観察できる。

そうした広告代理店は多くのクライアントを抱え、利益を上げている。ある広告はライフスタイルの特徴を強調し、他の広告は価格に言及する。またあなたがその商品を使うときにどのように快適に感じるかを表現する広告もある。さらに単に客観的な情報を提供する広告もある。すべての広告が示唆する点は、広告の創造性が重要であるということである。多くの消費者は、既にコカコーラとペプシを飲んだことがあり、それを飲んでどのように感じるかを知っている。したがって、消費者はコカコーラやペプシが「自分の嗜好に合うかどうか」を知るために広告を見る必要がない。しかし、両社は広告に多額の額を費やし続けていることを私たちは知っている。これは、明らかに、単なるシグナリングの問題ではない。このように、現在の標準的なモデルの限界は、広告の内容の影響力の強さを考慮しないことにある。私のこの研究は、どのくらい広告の内容が重要かを考察するものである。

私たちは、ある会社と協力して、企業がフェイスブックに投稿した記事を大量に収集した。それからアマゾンメカニカルターク(クラウドソーシングにもとづいた労働プラットフォーム)*を自然言語処理アルゴリズムと組み合わせ、投稿の内容の特徴を反映する変数を造り上げた。

例としては、投稿は価格に言及する、セールに言及する、ブランドに言及する、など。投稿は感情に触れる内容を含むか。その投稿は肯定的な感情か、あるいは否定的な感情か。私たちが発見した主な点は次のとおりだ。つまり、価格や入手可能性に関する情報、いわゆる「検索要素」は、私たちがフェイスブック上の「ライク(いいね)」とコメント数として定義したエンゲージメント(商品に対する愛着)を効果的に引き起こさなかったということである。対照的に、感情的な内容は、かなり多くの顧客エンゲージメントを生み出した。10万件以上のフェイスブック上の投稿を対象とした比較的大規模の研究から、感情に触れる内容がエンゲージメント(顧客の愛着)を生みだすために、極めて重要であるという結論にいたった。加えて、価格のような検索要素だけでは、エンゲージメントを生み出さないようにみえるが、感情に訴える内容と組み合わせると、エンゲージメントに好影響を与えることも明らかになった。この論文は、主な発見として、エンゲージメントを作り出すためには、感情的、または社会的な内容が重要であることを強調するものである。すなわち、情報提供だけではあまり効果がなさそうである。

* 従来、ソフトウェアに実行させていた処理のうち、人間の方が得意な作業を、開発者がタスクとしてウェッブ上で告知し、それが得意な人に請け負ってもらうための市場形式。単純作業にもかかわらず、ソフトウェアでは効率的に処理できないタスクを、人に処理してもらうことを依頼するシステム。そのタスクを仕上げた人には、報酬(相場は35セント)が支払われる。



4. 一般的にインターネットが、より具体的にはソーシャル・ネットワークが、マーケティング分野にどのような変化をもらしたと思いますか。そのなかで、最も有意義な変化を3つあげれば何になりますか。企業は、全体的に、そうした変化にどの程度うまく適応していますか。よりうまく適応するために、企業はどのようなことができますか。

ソーシャル・ネットワークはマーケティングの分野に巨大な変化をもたらした。その主な影響として、マーケティング・メッセージの重要度を増幅するスピルオーバー効果(拡散効果)を生んでいることがあげられる。ソーシャル・ネットワーク誕生前の時代は、利用者をターゲットにして、その人に影響を与えることができた。そのメッセージは、他の利用者にも影響を与えたかもしれないが、それを検証する方法を持たなかった。しかし、今は、(他の人々に対して)影響力をもつ利用者をターゲットにしてメッセージを送ることができる。そのメッセージによって、他のユーザー(彼、または彼女)が影響を受ける可能性があるだけでなく、そのメッセージの社会的な特性を理由として、他人とそのメッセージを共有するかもしれない。ターゲットとされたユーザーと関係している各個人がそのメッセージに影響を受け、今後は、そうした個人が彼らの友達と共有していく。こうして、ソーシャル・ネットワークがメッセージの影響力の効果を強化する。しかも、(素晴らしいことに)そうした影響力の効果の大部分が測定可能になった。

加えて、ソーシャル・ネットワークは消費者と企業との間のパワーの方程式を変えた。過去においては、レストランであるいは飛行機のフライトでひどいサービスを体験したら、その会社のCEOに苦情の手紙を送付したかもしれない。しかし、他の人はあなたの体験を知ることはない。あるいは、家に帰って近所の数人の友達にその体験を伝えられる。現在は、幅広い友人のネットークが閲覧できるフェイスブックに自分の体験を投稿できる。フェイスブックの友達のなかには自分も類似の体験をしたという反応をする者もいるだろう。彼らはあなたの体験を再投稿し、(ツイッターで)ツイートするかもしれない。そして、そうした友達の「友達」があなたの体験を読むかもしれない。あなたの体験に関する投稿は、ツイッターで(話題になっている共通のトピックの投稿や掲示の)「スレッド」に織り込まれかもしれない。そうなれば、最終的に、数百万人があなたの体験を知るようになる。このように、ソーシャル・ネットワークが消費者のパワーを増加させた。消費者は、今、自分の意見を大多数の人に対して説明できる能力(手段)を手に入れた。そうした能力は、かつて広告を出稿する資源(予算)を保有した企業だけが享受したものだった。しかし、現在、ソーシャル・メディアにより消費者が発言する能力を手に入れた。

こうした状況に対応するために、企業は何ができるか?私は、(効果)測定が非常に重要になってきていると思う。追跡技術が改善されてきた。広告の媒体・チャネルやソーシャル・メディアの選択肢が急増してきた。ツイッターで宣伝できるし、フェイスブックに広告を掲載できる。フェイスブックではソーシャル広告と広告フィード(配信広告)の選択肢もある。有料コンテンツとソーシャルコンテンツも選択肢であるし、ユーチューブもある。オフラインの世界と比べて、デジタル世界における測定技術が進んでいる。現在、多くの企業が洗練された測定ソフトを販売している。

問題は、それを活用する人的資源の側にあると私は考える。企業のマーケティング部門の人材は、現在、これらの技術をすべて効果的に活用できていない。従業員はその使い方が分からない。従業員たちは流入するデータ量と分析手法の選択肢の急増に圧倒されてしまっている。このような状況で企業がとることができる最初のステップは、企業内(インハウス)の測定能力を改善し、さらにこれらの技術を理解している人材を採用することである。さらに、企業は、データを提供している(データコンサルティング)企業に対してより質の高い測定結果を要求することもできる。



5. グーグル社が「ZMOT: Zero Moment of Truth (消費者が購買を決定する)ゼロ番目の決定的な瞬間)という新語を作りました。一方で、「消費者がスーパーの商品棚の商品を見て、購入か否かを決めるのは5から7秒」だと主張する伝統的な「FMOT: First Moment of Truth」(第1の決定的な瞬間)という考え方があります。それに対して、グーグルは、「現在、消費者はオンライン検索にもとづいて、買う商品をリアルな店舗に行く前に決定している」と信じています。あなたは、どの程度このグーグルの考え方に賛成しますか。あなたが賛成するとしたら、ZMOTは、企業のマーケティング部門へどのような示唆を与えていると思いますか。どのようにマーケティング戦略を変更することが求められますか

私は、学者として、複数の原因によってもたらされた現象に対して、ただ一つだけの原因を説明することを控えている。購入行動、つまりどこで買うかそしてどの商品を選ぶかは、複雑な過程を伴う。そのプロセスには、価格、便利さと他のブランドとの連想などの明白な要素の考慮が関係するし、クチコミや広告も関係する。このため、私は、FMOT(第一の決定的な瞬間)やZMOT(セロ番目の決定的な瞬間)の考え方をその理由として受け入れることを躊躇する。両方の考え方を購入行動の理由に適用できると思うが、どちらも他の全ての原因を除外する完全な説明になるとは私は思わない。

過去と比べると、情報の全体の巨大さとスマホで直ぐにそれを参照できる機能が、消費者の行動に有意なレベルで変化をもたらした。多くの消費者はもはや従来のライフスタイル広告や簡単なブランディングに影響されない。そもそもよく知られているブランドが何かを考えれば、その商品がとても高い品質を有していることの「手がかり」になっている。言い換えれば、その商品に、品質が高いという約束がついている。それを買うなら、あなたはだまされないという保証を伝える。もし私が時間の制約に直面し、購入についての情報を見つけられなければ、知名度の高いブランドを信頼する。この場合、知名度の高いブランドを購入するのが最もリスクが低くなる。

現在、情報を容易に発見しアクセスできるため、こうしたブランドの影響力は低下している。ある意味で、ライフスタイル広告の情報とブランディングの情報が代替品になっている。情報にアクセスしやすければ、私たちのネットワークから情報を入手する。その点で、私がグーグルのZMOTの概念に賛成する。多くの意思決定は店で実際に見る商品の特徴にもとづいてなされるのではない。消費者が(事前に)収集した情報によって意思決定がなされるのである。

この新しい現実に適応するために、2つの戦略が重要になってくる。一つが、人々にとっての時間の限界価値を熟慮することである。時間が制約されている人は、大量の情報を読み価格をチェックすることを最適な行動とみなさないかもしれない。彼らにとって、情報収集コストは高すぎる。他の人は、ある特定の状況において、それほど情報を必要としないかもしれない。他方で、他のケースでは、積極的に情報を収集するかもしれない。こうしたことを踏まえると、企業は、宣伝の内容とタイミングについて適切に的を絞ることが大切となる。大衆をターゲトにするマス・マーケティングの手法は、ブランドを大事にしている消費者を狙う多種類型の手法に変化してきている。

消費者がより積極的に情報を求め利用していることを所与とすると、二つ目の戦略として、企業がその情報を提供する役割を果たすことが考えられる。今日、優良企業は、何がその企業を優良企業にしているのかを説明するホームページを掲載することが求められる。自社が優良な会社だと単に発信するだけではもはや効果がない。なぜ優良なのかを説明しなくてはならない。企業は自社のホームページと商品情報ページを作成できる。企業は、消費者が情報を入手するチャネルの役割を果たす必要がある。多くの消費者が、グーグルの検索窓にキーワードを入力する。そのとき、企業は検索されるためにそこに存在しなければならない。これが、情報の急増とその収集に当たる費用の低下に企業が対応できる第2の方法となる。


2015年6月25日木曜日

Digital Kids  (デジタル・キッズ)



ディジタル教育の体験(実験)講座

背景
21世紀に入り、事業環境だけではなく、技術の普及や環境の問題等で社会が様変わりしています。この新しい世界で素晴らしい生活を築くために、新たな教育が要求されると考えています。それは単なるビックデータやウエブデザインなどに使うプログラミングの知識、能力だけでなく、それを様々な課題に活用する力やチームとして行動することにより、イノベーションを行うことも大切になります。ハーバード大学リンダ・ヒル教授の説明では、collective genius (集合天才)を開拓しなくてはいけないと言われています。

この様な状況を鑑みながら、子供の教育に効果のあるカリキュラムを作成しています。概念は、小学校4年生から始め、公立学校で学んだ知識も踏まえ、それに付加されるべき技能を組み合わせた個別教育を実践することにより、小学校修了時にはマイクロソフトオフィス等のソフトウェアを使用できる様に指導する。中学校1年生から3年生までに、HTML/CSSなど、ホームページを設計、デザインするプログラムを教え、高校1年生から3年生までは、ビックデータ分析に利用されるR言語とPythonなどや他プログラミングも教える予定です。

最近、日本のあちらこちらで、小学生にホームページを設計、構築するプログラムを教える学校が登場しています。ただ単にプログラムを書けることでなく、俯瞰的にコミュニケーション手段としてのウェブでの取り組みを教える教育プログラムを提供したいと考えています。また、部分的にScratchや他のアメリカ作成のオンラインプログラムも使う予定ですが、それだけに限らず直接設計、開発等の方法も含めることによってこの分野での包括的な学習ができると信じています。生徒たちの考えや要求に合った研修プログラムを日本語で作成し、直接指導をしたいと考えています。また、他のパトナー、学習機関と共に、全国でこのプログラムを拡げていきたいと考えています。短期で、大規模のこの分野の教育・研修の浸透ができることを目指します。その上、継続的に事業、このプログラムの改善を実施し、教育環境、社会、業界等の変化に対応した進化ができることを狙います。

既に、Scratchを開発したマサチューセッツ工科大学のメディア研究所の担当のミッシェル・レスニック教授とメール交換をしており、カーンアカデミーなどとも協力等について連絡を取っております。また、米国やイギリスなどでも、確立した教育プログラムはないですが、コンピューターサイエンス専攻の教育課程を修め、多くの教材を作成したので、それらを参考にしながら、現在の日本に唯一無二の総合的な教育プログラムを構築中です。その実現のために、今年9月にコーディング研修プログラムをオンラインと教室と両方でできる様、コーディングを教えている会社を訪問し、経営、その研修プログラム作成者、教師たちに会う予定です。

このようなプログラミングの無料実験授業に関心を持たれる教師の皆様、学校(公立・私立の小中高校、専門学校など)、組織などがありましたら、お気軽にご連絡いただければ幸いです。インターネットに接続されるコンピューター環境、教室があれば、実施可能だと考えております。

ご連絡をお待ちしております。

ジョセフ・ガブリエラ
Joseph Gabriella, Ph.D., MBA, MS