Professor
Alvin E. Roth Interview
2014年11月22日(日本時間) インタビュー実施
アルビン・ロス博士
スタンフォード大学経済学部教授。ハーバード大学名誉教授。ノーベル経済学賞受賞(2012年)。スタンフォード大学博士(オペレーションズ・リサーチ)。スタンフォード大学修士。コロンビア大学卒。専門は、ゲーム理論、実験経済学、マーケットデザイン(市場設計)。空手(名誉7段)。
ノーベル経済学者、スタンフォード大学アルビン・ロス教授の「マーケットデザイン入門講座」
1. あなたは、ゲーム理論、マーケットデザイン(市場設計)、それから実験経済学の分野できわめて有意義な貢献をしてきました。それぞれの分野の概観を示してください。そもそも、どうやって、これらの分野に関心をもったのですか。そして、それらの分野がどのように相互に関係し合っていますか。
ゲーム理論とは、経済学に関する数学的なツールであり、具体的には、既得権をもつ他人が携わっているなか、お互いの意思決定が影響し合う環境をどう扱うかを議論するものだ。ゲーム理論はマーケットデザイン(市場設計)*の本質的な背骨になっている。なぜなら、ゲーム理論はルール(規則)に関するものだからだ。言い換えれば、市場設計は市場のルールを作ることなのだ。ゲーム理論は、市場設計において異なるルールがどのように機能するかを考察するのを助けてくれる。そして、実験経済学は、これらの市場設計が正しいかどうかを確認する助けになる。
*マーケットデザインとは、モノの優れた配分を実現するように社会制度を作っていこうとする学問。
2. 読者にはあまり馴染みのない「リパグナント・マーケット(不快な市場)」*とは何かを教えてください。(私たちに馴染みのある)典型的な市場とはどう違うのかを説明してください。
*(Repugnant Market、嫌悪市場、不快な市場、つまりある人に不快な気持ちまたは違和感を引き起こす取引に係わる市場)
「不快な市場」とは、私たちがその存在を許さない傾向が強い市場のことを指す。私は、「不快な市場」より、「不快な取引」という用語を使うことが多い。「不快な取引」とは、ある人はその取引を行いたいが、他人はそれが許されるべきではないと思っている取引である。くわえて、私たちが「不快な取引」と名付けた取引に関して、人々は、なぜそれが許されるべきでないと信じるのか、その具体的な理由を説明することが難しい場合が多く見受けられる。
仮にあなたが私の家の隣にナイトクラブを開業したいなら、それは負の外部性を生じさせるだろう。そのナイトクラブは多くの騒音を生み出し、私は眠れない。しかし、それは、私たちが通常「不快な取引」と呼ぶものではない。例えば、過去10年間、同性結婚に関しては多くの変化が生まれた。それは、ある人々が成立させたい取引である。結婚を望む同性のカップルがいるが、ここアメリカでは非常に物議を醸している。しかし、なぜ人々がそれに反対するのかを説明するのは難しい。仮に同性婚が合法化されても、自分も同姓の相手と結婚させられるという強迫観念を感じるわけでない。それにもかかわらず、人々は、同姓婚を許すべきではないと思うかもしれない。私のナイトクラブの事例と対照的に、同性婚が不快な取引として見なされるので、「不快な取引」という概念が同性婚を考察するときに、役立つことになる。
腎臓移植に関する私の研究を通じて、この種の不快な取引に関心を持つようになった。世界のほとんどどこでも、移植用に臓器を売買することは違法である。もちろん闇市場は存在する。腎臓を購入したい人間と、売りたい人間が存在する。しかし、イラン・イスラム共和国(通称はイラン)を除き、世界のあらゆる国でこのような売買は、違法となっている。どこでも、つまり普遍的に違法なものは研究する価値がある。
3.1 経済学者でない普通の人でも理解できるように、安定マッチングの問題を説明してください。その問題の解決に使うアルゴリズムの仕組みはどのように機能していますか。
アルゴリズム(定式化・算式)に触れる前に、最初に、安定マッチングを説明しよう。私はマッチング市場の研究に多大な時間を費やしてきた。マッチング市場は、商品市場とは異なるものである。商品市場は価格がすべてを決定する。あなたが、特定の炭質の石炭を1トン購入しようとすれば、あなたは商品を購入していることになる。その場合、売り手が誰であるか、あなたは気にしない。あなたが希望するのは(あなたが希望する)良い価格だけである。ここでの市場の役割は供給量と需要量が一致している価格を定めることだ。しかし、非常に多くの市場はそのように機能しない。価格を利用した場合でも、誰が何を受け取るかは価格だけで決まるわけではない。自分が選ばれなければならない。あなたは自身が欲しいものを決めるだけでなく、あなた自身も選ばれなければならないのだ。
労働市場がその例である。たとえば、あなたはスタンフォード大学で働くことを勝手に決断できない。スタンフォード大学に雇われなければならない。大学の入学プロセスも同様である。スタンフォードの学生になることを勝手に決められない。あなたは大学に入学を許可されなければならない。これらのすべての「取引」にはお金がともなう。教授は給与を支払われる。大学生は授業料を支払う。しかし、価格は誰が何を得るかを決定するわけではない。スタンフォード大学は、入学希望者数を入学してもらいたい予定人数(つまり定員)まで減らすように価格(授業料)を引き上げはしない。本来なら、その価格(授業料)水準が、供給量と需要量が一致する価格となるのだが。
多くの市場では、他の組織が、誰が何を得るかの決定に関与している。市場が極めて競争的で、売り手と買い手が自由に取引できるのなら、まだ、どの種類のマッチングが行われることが期待できるかという質問を問うことができる。この質問が安定という概念につながる。労働市場で、すべての労働者が仕事についている。そしてある労働者が特定の会社に勤めたいと思い、その会社もその労働者を雇いたいと考え、それが実現されている。その場合、その市場のマッチングを安定マッチングとみなす。極めて競争的な自由市場で、(労働者と企業が)お互いマッチしたいのだが、そうなっていない。この場合、何がそうしたマッチングを妨げているのか問わなければならない。お互いの希望が叶えられた状態になっていないなら、マッチングが安定していないことになる。私は最も好きな仕事に就いていないかもしれないが、それはその雇用主が私の代わりに他の人間を雇いたいと考えたからである。この場合、(個人と企業の)お互いの関心が、不安定になっている。
安定マッチング(stable matching)を達成するために市場を組織化する方法の一つは、中央交換所を設置することだ。アメリカでは医師のために、そういった交換所があり、最近、日本でも類似の制度が導入された。医師は研修医として働きたい病院の順番付けリストを提出する。(研修医を受け入れる)病院も、同様に受け入れたい研修医の順番付けリストを提出する。アルゴリズムを使って、2つの順位付けリストに基づき、安定マッチングを弾き出す。アルゴリズムは次のように機能している。医師は1番に希望する病院に申し込んで、そこで順番をつけられる。病院は応募する医師の数が収容可能な人数を超える場合、超える分に該当する医師を拒否する。たとえば、病院が10人の研修医を受け入れられるのなら、11番より順位が低い医師は拒否される。
しかし、その時点で順位が10番目までの医師が受け入れられるわけではない。むしろ、単に拒否されないだけだといってよい。その間に、拒否された11番以降の医師は第2希望の病院に申し込む。病院がこの2つ目のリストを受け取ったら、まだ拒否されない医師のリスト(最初の10人)に付け加え、この新しいリストに新たに順番をつけ、まとめる。今回も順番が11番以下の医師を拒否する。このプロセスは、医師を拒否することがなくなるまで続く。つまり、他の病院を希望する医師がいなくなるまでこのプロセスが続く。病院が医師全員の申込書を持っているか、医師が関心のあるすべて病院に申し込んだが拒否された状態になる。その時点で、病院は第1位の候補者に採用通知を送付する。アルゴリズムが終了し、安定マッチングに到達すると、医師が自分の申込書を保有している病院にマッチングされることになる。たとえば、私が第3希望の病院にマッチングされたとしよう。この3番目の選択肢(病院)に申し込む前に、まず、私の第1希望と第2希望の病院に拒否されなければならないので、第1、第2希望の病院は私の採用を望まなかったことが分かる、病院が私を拒否した事実はそれらの病院が私よりも好ましい候補者を採用したことを意味する。
3-2 追加質問: そのようなマッチング過程の中では、価格はどんな役割を果たしていますか。
私がグーグル社で働きたいとしよう。もちろん、グーグルが提供する報酬は私の選好(好み)に影響を与える。事実、グーグルの採用オファーを受諾する候補者が考慮する重要な要素の一つがフェイスブックのような競合他社との報酬の比較である。グーグル社は、ちょうど自社が必要する人数の応募者になるように、提供する報酬の水準を低く設定することはない(給与水準を低く設定すれば応募者へ減る)。グーグルの仕事はすばらしい。同社が提供する報酬を受けながらそこで働くことに満足する人は大勢いる。もしグーグルが提供している給与水準で欲しい社員を集められないなら、いつでも給与水準を引き上げられる。このように確かに、報酬は重要なのである。応募者は、その選好を通じて、私が今説明したばかりのマッチングモデルのなかに含めることができる。他の条件が同じなら、給与の高いほうが好ましいが、それは雇用主を選ぶ場合に考慮する唯一の要因ではない。私の場合、スタンフォード大学より、グーグル社のほうがもっと高い給与が得られるかもしれない。でも、私はスタンフォードで働きたい。逆に、グーグル社は私の採用を望まなかったかもしれないが、スタンフォードは望んだのである。マッチングにあたって、数多くの要素が考慮され、そのなかでは、価格(この場合は給与)が極めて大きな要因になる可能性がある。
腎臓の交換では、法的な規制のために価格は役割を果たさない。そして、腎臓の交換は商品のような市場とは異なる。ソニーの株を購入するとき、株の売り手が誰であるかを気にしない。なぜなら、すべての株が同じだからだ。企業が職をオファーする際は、労働市場にいる応募者全員に出すのではなく、特定の一人にしか出さない。その場合、具体的に誰を採用するのかを気にしているのである。もちろんお金は唯一の要因ではないが、企業は採用者に給与を提供しなくてはならない。腎臓交換の場合は、患者がどの腎臓を受け取るかをとても気にかけているが、そのために、お金を提供することはできない。市場は連続体になっている。市場とは、一つの極端な例として、純粋な商品市場のようなものでもないし、もう一つの極として、法的な理由のせいで価格が何の役割も果たさない腎臓の「市場」のようなものでもない。ほとんどの商品の市場は、むしろその両極端の中間のどこかに位置付けられる。
4. 政府はどの程度積極的にマーケットデザインに関与すべきだと考えますか。政府は、経済のどの分野に特に関わるべきでしょうか。マーケットデザインを、政府介入または規制の一種として考えてもいいですか。
マーケットデザインは、市場を規制するすべての規則に関係している。この意味で、規制自体がマーケットデザインの一種だといってよい。政府は、マーケットデザインのプレイヤーの一部である。多くの市場は、政府によって部分的かつ断片的に開発されてきている。サンフランシスコのベイエリアの交通機関を考えてみよう。全体的にいうと、公共交通機関の選択肢、つまり、地域政府が運営している交通機関がある。そして民間企業が運営するタクシーがあり、これは政府に規制されている。正式に道端の顧客を乗せるために、タクシーは「メダリオン」(medallion)と呼ばれる免許が必要である。今は、ウーバー(Uber)のような自家用車型タクシーも利用できる。それは、携帯電話のアプリ(即時配車サービス)を活用した民営の配車サービスを呼ぶことができる。このようなサービスは従来のタクシーほど規制されていない。なぜなら、ウーバーは、主に自家用車のために私的に設計された市場だからだ。一方、タクシーは自営業者や個人が保有している車または運転手であり、市の規制を受ける。そして、最終的に公共交通機関は、サンフランシスコ・ベイエリアの交通局によって所有・運営される。私がスタンフォード大学からサンフランシスコに行かなければならないなら、これらのすべての選択肢が利用可能だ。
これらの交通機関は全て設計が異なっているが、その中には高度に規制されている交通機関もある。鉄道は政府が所有し運営している。タクシーは私有であるが、厳しく規制される。たとえば、私が空いているタクシーを呼び止めると、タクシーは私を乗車させるはずである。この意味で、タクシーは公益企業(電気、ガス)に少し似ている。他方、ウーバーの運転手は、そうしたくないなら、私を乗せなくてもよい。ここでは、3種類のマーケートデザインと規制がある。それらは、部分的に代替サービスとなり、また、補完的サービスにもなる。
政府は多くの市場にとって重要な法律を定め、規制を実施すべきである。たとえば、政府の介入に反対する人間でも財産権の保障は支持している。私は、家を所有している。そのため不動産証書(不動産登記簿)が郡書記官によって記録される。他人が私の家の持ち主であると主張すれば、私は自分が所有者である証拠を持っている。財産権は確かに重要である。私たちは、何かを売買するときに、売り手が実際に販売している商品の所有者でありで、その商品を買ったのちに、確かに自分が次の所有者になることを確認したいと考える。
しかし、財産権にも条件がついている。もし、あなたは私が書いた本を一冊購入すれば、その一冊を所有する。その本はあなたの財産になる。他人に売ってもいいし、あげてもいい。捨ててもいい。しかし、そのコピーをとることはできない。著作権法のため、あなたが購入した本をコピーして、それらのコピーを売ることはできない。私かその本の出版社が著作権の保有者である。このように、私たちの財産権が定義される。不快な市場では、あなたは自分の腎臓を所有し、それを他人に提供できる。もしあなたが私を愛していて、私が腎臓を必要としているなら、あなたは自分の腎臓を私に提供できる。しかし、あなたは腎臓を私に売ることはできない。この場合、財産権がマーケットデザインの一部になっている。極めて多くの市場が財産権に依存しているので、全般的に、私たちは、政府にその定義を託している。
しかし、ある財産権が契約で定義されることもある。もし、あなたがマンションを買うなら、あなたの所有権を明記する契約書を持っている。分譲アパートの契約書は異なる。私の家が郡書記官に登録されるが、ある建物のなかにあるアパートの私の所有権は、民法のルールに従うことになる。
5. 30年間に渡るあなたのキャリアを見渡した場合、経済学の分野の一番有意義な発展は何だと思いますか。どのような分野で将来の発展が期待できますか。
2つの違う方法で、この質問に答えよう。経済学を職業の視点から見れば、ゲーム理論、実験経済学、マーケットデザインのような手法が生まれた。コンピューターもこの分野に入ってきた。私の若いころは、統計を算出しにくかったが、現在は誰もが自分の机の上にコンピューターがある。さらにビッグ・データもこの分野に浸透してきた。一方、経済を考えると、数多くの取引がインターネット経由で行われていて、膨大なデータを生み出している。現在会計のレジがコンピューター化され、商品会計データが利用可能になっている。消費者については、(ネット)オークションのデータと広告データがある。より一般的に言えば、コンピューターが広範囲で利用されている。そしてインターネットにリンクされた経済的な取引が行われる結果、さらに大量のデータが生まれている。しかも、経済学者の役割、何をすべきか、そしてどうやってすべきかに関して、新たな考えが出てきている。
6. あなたは、スタンフォード大学で博士号を取得していますが、スタンフォードの教授になる前に、長年ハーバード大学で教壇に立っていました。この2つの大学の主な類似点と相違点は何ですか。2つの大学について、教授としてのあなたの個人的な経験はどのようなものですか。
両方とも、アメリカのエリート大学である。その結果、様々な類似点がある。両方とも優秀な学生を擁している。両方とも経済学の分野と経済学者の職業の発展に関心を持っている。しかし、両大学の窓からの景色はいくぶん違う。ハーバードでは、ニューヨーク市(金融業界)とワシントンのコロンビア特別区(政治、政策)を眺める傾向が強い。一方、こちらスタンフォードではシリコンバレー(IT、ベンチャーキャピタル)を見る傾向がある。従って、スタンフォードでは起業家活動と新規企業に焦点を絞っている。私がスタンフォードに移った理由の一つは、シリコンバレーにおける諸活動に関係するマーケットデザインにより興味をもっているからだ。アマゾンのように多くの企業が市場という場を作っている。ウーバーやグーグルもそうだ。それらの企業は本質的には広告の市場のなかにいる。ますます多くの企業が市場を造っている。そしてそれらの企業の多くがここ(西海岸、サンフランシスコ近く)にいる。
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