セス・ゴールドマン
セス・ゴールドマン(Seth Goldman)。米国の無糖茶飲料メーカー「オネスト・ティー」(Honest Tea)の共同創業者兼TeaEO*(最高経営責任者)。ハーバード大学卒(政治学)。イェール大学ビジネススクール修了(MBA)。イェール大学ビジネススクールで戦略論を担当しているバリー・ネイルバフ教授(Barry Nalebuff)とともに、オネスト・ティーを創業。セスの両親はともに大学教授。トライアスロンの愛好家。オネスト・ティー社はハフィントンポスト紙によって「革新的な社会的責任企業の8社」(Eight Revolutionary Socially Responsible Companies)のひとつにランキングされた。ネイルバッフ教授と共著で、ホネスト・ティーの起業プロセスを綴った『Mission in a Bottle』(日本語版『夢はボトルの中に』(英治出版)を出版している。
*経営責任者のCEO(Chief Executive Officer)の代わりに、(紅)茶(Tea)にかけてTeaEOを肩書きに使用している。「オネスト・ティー」の主要商品である、茶飲料の最高責任者という意味もある。
1. ハーバード大学で政治学を専攻したのち、あなたは、ロイド・ベンツェン上院議員のもとで働きました。ベンツェン議員は、当時の民主党大統領候補マイケル・デュカキス氏の副大統領候補でした。そうした点から判断すると、あなたは、最初、政治の仕事に興味を持っていたように見えます。いつ、どのような理由によって、政治の世界からビジネスの世界に転じることを決めたのですか。
それはいい質問だ。意識的に、政治の領域からビジネスに替わったのかは、自分でもよくわからない。その時点で、政治の世界(政治家になること)の可能性を排除したのではないとは言える。ベンツェン議員のもとで、政治の領域で実際に働いていたとき次のことを発見した。彼のレベルの仕事はきわめて影響力が大きいとはいえ、彼は、様々な形で、40年にもわたって公共的な職に献身してきた。私は、むしろ、もっと直接的かつ即座に(社会に)影響力を与えることに興味をもっていた。その一環として、アメリコープ(AmeriCorps)として知られている組織の前身である、メリーランド州バルチモア市のプログラムで働くことにした。そのプログラムの対象になった人々のなかに、有形の結果と影響を確認することができた。同時に、そうした領域には、有り余る情熱をもった多くの新しいリーダーがいる一方で、必要なマネジメント・スキルを身につけていないことに気がついた。そうした理由で、私は、経営大学院(ビジネススクール)に行くことに決めた。これは、私にとっては、有益な方向性だった。
ビジネススクールで、「ビジネス」(あるいは事業)を通じてインパクト(影響力)を与えることができることが分った。そして、私はそのような方向に進んだ。政府での活動がより直接的なインパクトを与えることができると考えたなら、私は、政治の活動に戻ったであろう。ビジネスの分野でこれまで私が発見したことは、ビジネスは、私が自立型の影響力を行使するのに役立つということだ。
もちろん非営利セクターで働いていたときも楽しかった。しかし、次のような事実に、何か苛立っていた。それは、資金調達(それはもちろん必要なのだが)が必ずしも直接的に結果につながっていなかったことだ。つまり、資金調達は、団体(組織)の創業者の意見、気まぐれ、非営利活動に対する当時の流行(雰囲気)に左右されてしまっていた。私が、ビジネスに対して評価するようになった点は、それが要求する高いレベルでのアカウンタビリティー(説明責任)である。誰もが、慈悲の気持ちから、あなたの事業を支持しているわけではない。あなたのビジネスが利益をあげるなら、市場(マーケット)は事業に対して持続性を与えてくれる。あなたのビジネスが価値(バリュー)を提供していれば、市場は成長と繁栄の機会を与えてくれる。そうした点が、私にとってワクワクするような認識につながった。
外からビジネスを観察していたとき、ビジネスは道徳的な妥協に満ちていると、私は常に考えていた。一方、政府部門にはそうした妥協がないと思っていた。
しかし、現在の政府の運営の姿を観察すると、いたるところに妥協があるように見える。あなたの信念を実現するためには、当初の意図とは似ても似つかないレベルまで目標を下げなければならない。私が最も満足しているのは、オネスト・ティー事業を構築するうえでほとんど妥協する必要がなかったことだ。オネスト・ティーは、私が目指している意図を明確に実現している。オネスト・ティーに対して、満足しなくなり、それが創造性に欠け、チャレンジする価値がなくなり、影響力も低下していると感じる日がくれば、私は公共部門の仕事に戻ることを検討するかもしれない。しかし、創業してから16年経過しているが、オネスト・ティー事業が私の才能を活用する最善の方法であり、社会に対して影響力を行使するための最も効果的な方法であると、満足している。
2. オネスト・ティー社を立ち上げるにあたって、どうしてイェール大学のバリー・ネイルバフ教授とパートナーを組むことになったのですか。彼にあなたのアイデアを初めて話したとき、彼の反応はどのようなものでしたか。どのように彼との関係を築きましたか。あなたと彼が平等のパートナーだった場合、意見の相違をどのように解決したのですか。あるいは、意見が異なる案件についてどのように決断をしたのですか。
最初、私は、彼の学生としてバリーに出会った。バリーとの関係はとても面白かった。なぜなら、性格的にバリーと私はかなり異なっていたからだ。彼は分析的だ。そして、その当時だけだったかかもしれないが、必ずしも社交的なタイプではなかった。現在、彼も成長し、うまく立ち回るようになった。しかし、当時、私のクラスメートたちには、私とバリーが協力しているなんて信じてもらえないくらいだった。そして、卒業後でも、私とバリーが一緒に仕事をしていることに驚くクラスメートがいたほどだ。
私は、彼の授業で優秀な生徒だった。最初、私は、バリーの「政治経済マーケティングの授業」を履修した。なぜなら、私は、政治分野で働いた経験があったからだ。私は、彼の授業で、優秀な生徒として輝いていた。私の両親はともに、バリーのような教授だった。そのため、授業中にやや攻撃的に学生に質問するバリーのような教授に対しても、私は威圧されなかった。私は、そうしたストレスにうまく対処できた。同時に、当時、私は、事業計画を策定していた。私の事業計画を通して、バリーは、起業家的な閃きにもとづき、創造的な手法で懸命に問題解決にアプローチする私を評価するようになった。
オネスト・ティーの事業アイデアは、バリーの競争戦略コースを受講している過程で生まれた。彼と飲料産業について議論しているとき、彼が「何か物足りないものがないか」と質問してきた。私たちの議論は、より甘くない、つまり無糖の飲料が必要であるという点に収束していった。そのとき、彼は、自分たちでサンプル飲料を作り、ファーカスグループで調査もできると示唆した。
しかし、当時、私は、就職活動でとても忙しかった。そのため、私はこの事業計画に関して何もできないと述べた。2年後、バリーと連絡をとった際に、事業計画を進める準備できたことを彼に告げた。そして、彼もその準備ができていた。彼は、その間、紅茶飲料産業について研究していた。そうしたなかで、オネスト・ティーという鍵となる発展的なアイデアが生まれた。
お互いが利害関係を共有することに決めたら、二人の適切な役割を決定することが、単にそれらを議論するだけでなく実際に行動を起こすうえで大きな問題となった。私は、バリーと長時間にわたって議論するために、コネティカット州ニューヘイブンを何回か訪れた。そのとき議論したのは、事業計画、商品の価格、サプライヤー(供給業者)の探し方ではなく、両者の仕事における関係と目標についてであった。彼はこの事業にどうして関与しているのか?彼はどうしてこうした事業を構築したいと考えているのか?この事業における成功は何か?そうした成功を二人の人生設計にどのように落とし込むのか?
こうした点は、私たち二人が明確にしなければならない最大の問題だった。実際、こうした問いに対して答えを見つけることが、事業を前進させるために不可欠だった。両者の関係については、彼が取締役会の議長になり、私が事実上の最高責任者になった。二人で、私の肩書きを(言葉の遊びを含め)TeaEO(茶飲料の最高責任者)と呼ぶことにした。もちろん、それはCEO(最高経営責任者)という意味をもつのだが。
もちろん、起業の過程で、私とバリーには意見の相違が生じた。しかし、そうした案件は、二人が仲違いするような程度の問題ではなかった。単に、両者でそれらを議論しておく必要があったということだ。二人で事前に議論しておいたため、主要な問題では両者で合意に達していた。私たちは、これが長期的な取り組みになることを理解していた。2年や3年で事業を軌道に乗せ、売却することができるとは思っていなかった。このプロジェクトは、少なくとも10年はかかるものだった。
二人の間で議論になったのは、たとえば、商品のラベル、つまり、ラベルにどのようなことを表記するか、しないか、といったマイナーな問題だった。こうした問題は、容易に全体のなかでバランスをとって検討できた。商品ラベルに関する意見の相違と、企業の方向性を議論することとは性格が異なる。有機原料を使うべきか?甘さのレベルをもっと控えるか、どうか?二人の間のこのような些細な意見の相違は、私の妻を間に立たせて(仲介役)、最終的に解決した。
3. コカコーラ社は、オネスト・ティーを買収したのちも、あなたをCEOの座にとどめています。世界の甘味飲料業界を主導しているコカコーラ社で、健康的なライフスタイルの提唱者であるあなたは、ある種のジレンマを感じますか?もしそうなら、そうしたジレンマとどのように折り合いをつけていますか?
私は、常に、自分が行っていることの影響力を見ている。それが、私が結果を測定する方法だ。コカコーラ社が当社を買収する前と、現在の当社の状況を比べると、当社の成長にとってコカコーラ社の買収が「変曲点」になったと理解している。当社の事業の最初の10年間で、1億1,200万ボトルを販売した。コカコーラ社の買収後の6年間で、その販売数量は6億8,800万ボトルになった。当社商品の取り扱い店舗数は、1万5,000店舗だったが、それが現在、およそ10万店にまで拡大した。毎年、当社では、80万ポンドの有機材料を購入していたが、それが、今年は、800万ポンドを超える量となった。明らかに、当社の影響力は意味のある形で拡大している。当社の事業規模は劇的に増大していると自信をもって言える。
数千種類の商品を販売している企業であるコカコーラ社に、賞賛に値する全社的な方針があることを、私は評価するようになった。高度に多角化したビジネスを展開するコカコーラ社は、おのずと多くの課題に直面している。その一環として、同社は素晴らしい水資源プロジェクトに関与している。そうしたプロジェクトを通して、同社は発展途上国に、より多量の飲料水を提供することを支援している。コカコーラ社は、2020年までに、最終商品に含まれる水と同量の水を自然界に戻す「ウォーターニュートラル」(water neutral)を達成すると公約している。同社は、同じく「パッケージニュートラル」にも関心をもっている。つまり、同社は、可能な限り、パッケージ(包装)材料をリサイクル、再活用することを目指している。困難なステップだが、この目標はコカコーラ社の念願である。それは最終目標というよりは、同社が目指している道程だといってよい。
4. オネスト・ティーはコカコーラ社からみるとかなり異質のビジネスだと思いますが、どのようにコカコーラ社に御社の買収を提案したのですか。
実際は、コカコーラ社のほうが当社にアプローチしてきた。同社の一部門が3,500種類の飲料に関して集中的な調査研究を実施した。その結果、当社の商品が、大きな可能性を秘めているカテゴリーに属していることが明らかとなった。コカコーラの調査チームはオネスト・ティーが、同社が販売していない飲料であることを理解した。最終的に、オネスト・ティーは、コカコーラ社が販売したいブランドであるという結論となった。3,500種類のブランドからスタートし、100ブランドまでふるいにかけた。その後、12ブランド、次に5ブランドまで絞り込み、最後の1つに残ったブランドが、オネスト・ティーだった。
5. あなたがよくご存知のように、日本には巨大な緑茶マーケットが存在します。緑茶メーカー、たとえば伊藤園のような大企業と関係がありますか。アメリカ市場に(日本の)緑茶を投入する、あるいは、日本市場にオネスト・ティーを導入する計画をお持ちですか。アメリカ市場で緑茶を販売する場合、かなり苦味があり、普通無糖で飲まれる(日本の)緑茶をアメリカの消費者は受け入れると思いますか。
当社の緑茶は、米国内で販売されている緑茶飲料よりも、日本のそれにかなり似ている。当社のお茶は本物で、無糖である。抹茶ではないが、緑茶である。事実、当社のベストセラーのひとつが「Just Green Tea」という商ブランドで、それは濃い緑茶飲料だ。このブランドはすぐに成功したものではないが、消費者の評価は上昇し続けている。
当社は、伊藤園と「普通でない」関係がある。この点は、『Mission in a Bottle』のなかで簡単に説明している。米国で伊藤園を立ち上げようとしていた人物が、彼の経歴を伝えないで、投資家として当社にアプローチしてきた。彼は当社の投資家だったので、伊藤園が米国で事業と立ち上げる前に、当社の事業計画や財務報告書を見ることができた。ある展示会の伊藤園のブースで彼に話しかけたとき、私は「彼の名前に見覚えがある」と頭の中で思った。あとで気づいたが、彼はあの時の当社の投資家だったのだ。しかし、彼は、現在、当社の競争相手である。このエピソードは、投資家に関して当社が遭遇した、最もがっかりした出来事だった。当然、当社は彼に当社の株式を売却させた。あえていえば、もちろん、彼はその過程で当社の事業から利益を得た。それが、当社が伊藤園と関係した最初の体験だった。伊藤園は、現在でも当社にとっての競合企業のひとつである。
オネスト・ティーは、現在、日本市場に参入する短期的な計画を持ち合わせていない。将来参入するとした場合、それはコカコーラ社を通じて長期的な計画となるだろう。現在の限界は、現地(つまり日本)で商品を生産する必要があることだ。というのは、液体は重量があり、効率的に輸出することには適していない。さらに、日本の商品の表示に関する法規制はかなり厳しい。韓国のような国で、当社の商品を販売している。そのような国では、商品の表示に関する当社の方針をそのまま適用できるからだ。しかし、日本では、当社の商品を流通させることはできない。
6. あなたはトライアスロンの本格的なアスリートというだけでなく、自転車で通勤し、ベジタリアンで、アルコールの飲酒を控えています。そうしたライフスタイルを、健康を理由として選択したのですか?あるいは動物の権利を擁護するといった根本的な価値観がその理由となっているのですか?
私は次のような事実を深刻に受け止めている。それは、私たちがある特定の時間だけこの地球上に存在できるということだ。私は、その限られた時間を自分が関心を持っていることに使いたい。それが、私の情熱だ。情熱をもって私が何かを行うとき、私はより良い仕事ができると信じている。そのため、私の時間、投資資金を次のような目標に向けて集中的に活用している。国民のための健康的な生活の支援、生態系の改善を軌道に乗せること、経済的な機会の創造を支援すること
昨年まで、有機離乳食の会社の役員会のメンバーだった。その会社はとても成功している。確かいに、この会社に関与することは私の情熱に部分的にも関係している。私は、「Beyond Meat」(ビヨンド・ミート)という会社の役員になったばかりだ。その会社は、従来の肉(動物性たんぱく質)の代替商品となる植物性たんぱく質でできた肉を販売している。こうした企業は大きな社会的な影響力をもつ、潜在力の高い企業だ。同時に、質の高い投資先でもある。
7. あなたは年齢が比較的若いにもかかわらず、普通の人よりも多くのことを達成しています。次の20年間で、仕事やプライベートでさらにどのような目標を達成したいですか?
次のすべてのステップの概要がわかる完璧な計画を持っているとはいえない。しかし、何を行ううえでも、私は社会に影響力(インパクト)を与えたいと思っている。自分が関心をもつ問題に関与したい。そして、可能な限り高い度合いで、そして、可能な限り大きな規模で影響力を保ちたい。さらに、創造的で、プロフェッショナルなチャレンジを追求し続けていきたい。
それに関連して、次のような事実を話しておきたい。私は、文字通り、あるいは比喩的な意味でも、「ゴルファー」ではない。私はゴルフをしない。そして、ゴルフに時間を使い、社会に貢献しないような娯楽に時間を使うような人間になりたいとは思わない。ゴルフを楽しむ人には申し訳ないが、私自身は、現在、私の残りの人生、あるいは退職後の人生を、のんびりした娯楽に費やすことは考えていない。
当面、オネスト・ティーの事業の構築とその経営を継続することが、私の時間と才能を最大限に活用することだと信じている。将来のある時点で、それがそうでなくなる場合があるかもしれないことも想像できる。なぜなら、オネスト・ティーのブランド力が十分に大きくなり、それ自体で勢い(販売力)が維持でき、私の関与の度合いが重要でなくなるかもしれないからだ。あるいは、事業組織がより高いレベルで法人化され、私の意見の影響力が低下するかもしれないからだ。
現在は、そうした状況にはない。しかし、そうしたシナリオが現実化することも想定している。そのような事態が現実化した場合、次のステップを今は考えていないが、喜んで身を引くだろう。もう一度、ゼロから新規事業をスタートする意思があるかどうかは分からないが、新規にベンチャーを立ち上げることももうひとつの選択肢になるだろう。現時点で、私は、どのような選択肢も否定するつもりはない。
8. 2013 年のワシントン・ポスト紙の記事で、あなたは、アメリカ人の食生活を変えることを目指している社会的意識をもった起業家の第一人者だと紹介されています。アメリカ社会の他の領域に関して、どの部分を変える必要があると考えていますか。それをあなたはどのように変えますか?起業家はそうした変化を促進するエージェント(代理人)としてどのような役割を果たすことができますか?
まず、明らかに、アメリカの政治システムを全面的に変える必要があるだろう。スタンドプレー(自分だけ目立とうとする姿勢)や変化することを真剣に考えない政治家の言葉を聞いていると、本当に嫌気がさす。しかし、その分野に関しては、現在、私は解決策を持たない。もし解決策があるのなら、私はそれを実行しているだろう。2、3ヶ月ごとに、私は、不和を引き起こす有害な政治家の言葉を聞き続けることが、果たして幸せなのか自問し続けている。私は、政治に問題があることは理解しているが、それを解決しようとする見込みには否定的である(そうした分野の仕事には、現在、私は関心がない)。
もちろん、ビジネスチャンスと社会へのインパクトの両方が伴う分野も他にたくさんある。そのひとつが、アメリカ人の食生活だ。ビヨンド・ミート社の経営に私が関与していることはすでに述べた。当社が飲料に集中しているなかで、ビヨンド・ミートのような会社は食生活により大きなインパクトを与えることができ、それはワクワクするような手法になっていると思う。
私が関心をもつもうひとつの領域が、米国の農業のある側面だ。もちろん、私は、農業に関して深い知識を持っているわけではないが。大きな問題のひとつは、農業において、大量の化学薬品が使用されていることと、(水資源の利用に関係する)灌漑の手法にある。
水と化学薬品の最大の使用主は、大規模農業生産者ではなく、小規模の農業、すなわち、芝生を育てている「一般家庭」だ。環境問題的にいうと、一般家庭の芝生は、水と肥料を最も必要とする植物である。こうした「ねじれ」は興味深い現象であるとともに、以外なことでもある。ビジネスチャンスの面で見ると、家の庭に、芝生のグリーンのカーペットを敷きたいというアメリカ人の願望をどのように変えるかを問う必要がある。先ほど述べたとおり、この分野に関しては十分な知識がなく、解決のためのアイデアを持ち合わせていない。しかし、このように変化が絶対に必要とされる分野には、確かにビジネスチャンスが隠れている。
9. 論理的で直線的なキャリア計画が米国社会では根付いています。そうしたなかで、スタンフォード大学教育大学院のジョン・D・クランボルツ博士は、「計画された偶発性」理論(Planned Happenstance Theory)を唱えています。そのキャリア理論は次のようによりわかりやすく表現されます。「幸運は偶然ではない。すなわち、必ずしも、私たちはキャリアを作り出す必要がない。そのかわり、予期せぬ出来事をキャリアのチャンスに変えるために偶発性をうまく活用して行動することが必要だ」オネスト・ティーの創業の決定を含め、あなたのキャリアの発展において、どの程度、クランボルツ博士の理論は当てはまると思いますか?
確かにクランボルツ博士の理論は私のケースに当てはまると思う。27年前に、政治学を専攻してハーバード大学を卒業した。そのとき、あなたが、私に「(私が)飲料会社を創業するだろう」と言ったなら、私はそのようなキャリアを決して予見しなかっただろう。その一方で、もし、あなたが、「(私が)アメリカ人の食生活を改善するための組織を運営する」「(私が)より持続可能な農業を普及させる組織を運営する」あるいは「(私が)ビジネスチャンスがない社会に経済的なチャンスを提供する活動をする」と言ったとしよう。その場合、私は、(将来)そうした活動のひとつに従事するか、あるいはその全てを行っていると信じたかもしれない。さらに、自分が将来そうした活動に関与することを知っていれば、とても興奮したかもしれない。私は、自分の情熱にしたがって行動してきた。進むべき道を決めてきたわけではない。進むべき方向性という面で、どこに自分が向かいたいのかという感覚をもつことは必要だと、私は思う。しかし、その具体的な道やステップに関しては常に選択肢をオープンにしておくべきだと考える。
10. いつか、あなたの著書『Mission in a Bottle』を映画化することに興味をもっていますか?
もちろん。私たちは、常に、オネスト・ティーの起業ストーリーを共有することに興味をもっている。しかし、ハリウッドの映画プロデューサーからはまだ私たちにコンタクトはないし、現在のところ、映画化の選択肢に関して積極的に議論したことはない。
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